ボヤキ言葉の真犯人

新年会で乾杯の挨拶をする加藤副理事長
新年会で乾杯の挨拶をする加藤副理事長

 「お菓子買ったか」「バカダッタの盗賊」「ヘンチョーカトリセンコー」……。碁界では親父ギャグ的なボヤキ言葉が根強く使われているらしい。閉ざされた専門家集団の真剣勝負の場を一瞬和らげる癒し言葉としてひっそりと語り継がれるならいいだろう。しかし、品がよいとか格調が高いとはお世辞にも言えないこうした無意味な言葉はところ構わず顔を出し、しかもすぐに伝染する。職場での会議や客先、PTAの集まりなど口を付いて出てきたら誰だって困るだろう。こんな言葉を創り出し、流行らせた大悪人は一体全体誰なのか??。

 生まれ変わったら名探偵になりたかった私に、真実を探る絶好の機会が訪れた。私が密かに“真犯人”と当たりをつけている殺し屋カトーと話をする機会を持ったのだ。ところは新宿歌舞伎町、寄り合いビルの小さなスナック。少々酒が入って殺し屋はよくしゃべる。このチャンスを逃してなるものか。話は彼の修行時代。好きな棋士は秀行、大竹。劫に強く攻めに強い厚い碁を目標にしたと言う。古碁ではもっぱら碁聖・秀策の棋譜を並べた。後輩の健二プロによると、殺し屋は朝9時から夕方5時まで碁盤の前に座り続け、殺しのテクニックを研鑽していたという。だから彼の布石は今でも秀策の血が通っているように見える。「アマの皆さんも、自分に合った棋士を見つけて何でも真似するのが一番の上達法です」と言うのが彼の結論だった。

 一を聞いて十を理解する私の頭脳はそれですべてが氷解した。いつごろだったか、女流棋士のヤッシーが“カトー先生の言葉が伝染してしまった”と大騒ぎしていたのは、芸も人柄も尊敬する心の師であるカトー先生に傾倒するあまり、食事時でも電車の中でも“ヘンチョーカトリセンコー”がところ構わず口をついて出てきたからなのだ。私はさっそく殺し屋に鋭く切り込んだ。「ヤッシーは“責任を取って欲しい”と涙ぐんでいましたが」ーー。この時の殺し屋の表情を見せたかった。これぞ本家本元の苦笑い、メガネがずり落ちるのも気づかず、目の前の水割りに手を出し、慌てて一口すすってむせ返る。「いやぁ、あれはコーイチ君も言ってる。彼は私との対局中、唐突に“カトマンズ”などとつぶやき、不利に陥った私に駄目押ししたこともあるのです」とコーイチに疑いの目を差し向けたかと思うと、一転して自分の恩師に矛先を向ける。「実は私の師匠が駄洒落が大好きだったんです。だから……」と、九州なまりを隠さず少々どもりながら弁明に終始するではないか。

 殺し屋の恩師と言えば私でも知っている。怪童丸、大豪・巨匠と呼ばれた大木谷。ゴセーゲンと共に新布石を編み出した昭和の名棋士だが、彼の記録係を長く務めた中山典之文士は「むしろやんちゃなガキ大将だった」と証言する(実録囲碁講談)。野次馬根性が旺盛で、対局が済むと流行り歌を歌い、人が集まれば即興の駄洒落を披露して一人喜んでいたという。さぞや、周りは凍りついたことだろうが。そして対局中には扇子をパチパチ、戦いたけなわになるとがぶりと噛み付いて終局時には骨だけにしてしまう。このため奥さんが扇子によく似た棒(“木谷の如意棒”と恐れられたらしい)を持たせて扇子をいたわったのだが、今度はちり紙を小さく引きちぎり口元で丸めて無数の紙つぶてを量産、座布団の周りに吹雪のようにまき散らかしたという。

 何だこりゃ!?チクン大棋士の対局癖そのものではないか。もっとも、チクン大棋士は如意棒の代わりにハンカチ、ちり紙の代わりにマッチ棒を使うらしいがーー。だんだん読めてきた。殺し屋が言わんとするのは、すべて今は亡き恩師のDNAがなせる業と示唆しているのだ。チクン大棋士は大木谷の所作を、殺し屋とコーイチはボヤキ言葉をそれぞれ受け継いだのだ。とすれば、かわいそうな被害者ヤッシーを変調させた真犯人は大木谷ということになる。

亜Q

(2004.1.26)


もどる