占か碁か

 金庸の小説は武侠小説の雄であるが、恋愛小説としても優れている。惜しむらく日本ではあまり知られていない。
「金庸とは誰か」と問えば、
「(金庸を知らない)日本人とはなにものか」という反問が来るという。
 そして全ての作品が何度も映画化されているが、ストーリーは原作を逸脱していることが多い。
 その昔、ベトナムの国会で「おまえはまるで○○○だ」「そういうおまえこそ□□□だ」と、金庸小説の登場人物を使った罵り合いがあったという。

 ヒーローもいろいろだがその愛の形も様々である。
 武侠としての処女作「書剣恩仇録」の主人公陳家洛は、金庸の世界でただ一人、わたしが共感できない人物である。
 2002年に大河ドラマとなった。その中に碁らしきシーンがあるので紹介する。原作にはないので意味が不明である。諸兄の判断を仰ぎたい。
 陳家洛が、少女ながら回族の族長となったホチントンとの出会いのシーンである。
 陳家洛が石を並べている。それを覗いたホチントンの科白は碁を見ているようだったが、もしかすると占いだったのかも知れない。

 15路の一色碁のようだが、この時点で3カ所の「1の1」に石が来ているのは解せない。 故に占いかも知れないと思ったのである。

 乾隆皇帝が碁を打つところ。
 石は片面が平たい。これは中国の石の特徴だが、わたしが台湾で碁を打ったときは、日本の石と同じであった。
 そしてこの石をそっと置く。とても打つという雰囲気ではない。普通はどうなのだろう。碁は打つのか置くのか(下棋と表記する)。

 皇后と乾隆帝が碁を打つところ。当時は黒が高貴の色である。
 この当時はタスキ星に石を置いてから始めたので、向こう側三分の一に石がないのは合点がいかない。これも占いであろうか。占いとはとても思えないが。

 どうも原作にないシーンはおかしなところが多い。ストーリーは敦煌の近くから杭州に移る。これは乾隆皇帝が北京から杭州に行くためであるが、原作の杭州の最初の部分を、敦煌の近くに舞台設定してしまったため、皇帝は北京から杭州に行くのに、敦煌の近くによってから杭州に行くという矛盾が生じた。この碁のシーンもそれに類することかも知れない。

たくせん(謫仙)

(2006.3.28)


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