芥川賞・朝吹真理子さんの将棋観戦記

慶応大学修士課程在籍中に『きことわ』という作品で第144回芥川賞(平成22年度下半期)受賞者、朝吹真理子さん(26)が将棋の観戦記に挑戦される。筆おろしは将棋王座戦2次予選決勝、郷田真隆九段‐村山慈明五段戦。4月上旬に主催紙の日経新聞に連載される予定だと、日経の観戦記者、木村亮編集委員が2月末の夕刊コラムで伝えていた。

「朝吹さん」といえば、フランソワーズ・サガンの小説『悲しみよこんにちは』『ブラームスはお好き』などの名翻訳家、朝吹登水子さんを私は真っ先に思い浮かべるが、この登水子さんはシャンソン歌手の石井好子さんとともに真理子さんの大叔母に当たる。このほか、仏文学者、軍人、政治家、大実業家、ノーベル化学賞受賞者らが親族に連なる華麗なる一族の出自らしい。

真理子さんは「自分で指すより観戦記を見るのが好き」という一風変わった将棋ファン。棋力は「大変弱い」と自ら認めるらしいが、「一手一手の意味はわからなくても、基本ルールさえわきまえていれば観戦記から多くのことを感じ取れる」そうだ。タイトル戦の生中継を見ても、勝負の「野蛮さ」と棋士の「エレガントな振る舞い」に引き込まれて「しばし呆然とする」とは、さすがにただならぬ感覚の持ち主だ。

小学校3年生の頃、チェス入門書を読んでボードゲームに興味を抱き、高校生になって羽生善治王座が文学者や詩人との対談集に出会い、将棋の面白さに目を開いた。以来、真理子さんにとって将棋の観戦記は日常の必読記事。将棋は「数学の美しいもの」のようであり、対局中の棋士は「崇高」であるとまで言う。好きな棋士は豊島将之六段。将棋界に疎い私は知らなかったが、今売り出し中の若手棋士らしい。真理子さんはこの豊島六段を指して、「時に羽生王座のようであり、時に谷川浩司九段のようにも感じさせる」と言っているが、これは指し手や棋風を分析した結果というより、全体の雰囲気から評したものだろう。

囲碁にせよ、将棋にせよ、観戦記はアマ強豪の専門記者、またはインストラクター、さらにプロ棋士(中山典之さん、小西泰三さん、名観戦記をありがとう!)自ら執筆することが多い。毎日新聞に時折書かれていた石井妙子さんはあまり強くなさそうだったが、まさしく専門記者であり、プロ棋士の解説をなぞりながらも、女性らしい視点から独自の観戦記に仕立てておられた。

正真正銘の“非強豪アマ・非専門記者”が修羅場とも言えるプロの勝負の現場に臨んで、どんな観戦記を書くだろうか。想起されるのは、川端康成が当時の名人、本因坊秀哉と新進気鋭、木谷實七段との挑戦手合い(昭和13年ごろ)を取材して囲碁小説に仕上げた『名人』。ノーベル文学賞を受賞したこの文豪の棋力がどの程度だったかは知らないが、少なくとも“強豪アマ”とは言い難いのではないか。そのせいか、一手の意味よりも対局者、特に当時の本因坊秀哉の一挙手一投足をつぶさに記録し、小説家の立場からその心情を慮るといった趣深い心理小説になっていたような気がする。

さて、朝吹真理子さんはどんな観戦記を見せてくださるのか。確かなのは、一手一手なぞりながらの解説や初級者向けミニ定跡講座には陥らないだろうということ。むしろ対局室の空気や棋士のちょっとしたつぶやき、表情の変化などを研ぎ澄まされた感覚で再構成して、日本古来の伝統文化である将棋の魅力を素人にもわかりやすく生き生きと伝えてくれるのではないか。対局室の風景より後日のプロ棋士の検討を材料に手際よくまとめるといったややマンネリの気配がする観戦記に新機軸を打ち出してくれそうで楽しみだ(ご参考までに、以前本欄でご紹介した『観戦記』『囲碁評論』をご覧ください)。この機会に、ずっとご無沙汰していた将棋観戦記を熟読させていただこうと、今から手ぐすねを引いている。

そう言えば、元祖テンネン系のお一人、ヤッシーこと矢代久美子五段は20代最後の頃、「まだ芥川賞はあきらめちゃいないけどね!」と公言されていた。結婚と女流タイトルを獲得された後、NHKの囲碁番組などを見る限りかなりおしとやかな風情を見せておられるが、文筆の方でも相変わらずご精進されているのだろうか。もしも受賞された暁には、主婦兼プロ棋士兼芥川賞作家として囲碁タイトルと名観戦記の二兎を追って欲しい。

亜Q

(2011.3.6)


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