加齢は碁を広くする〜年の瀬にオヤジの幻想交響曲

 今年も押し詰まった23日、チーママが久々に里帰りされてホテルニューオータニで主宰されたクリスマスパーティーを覗いた。ご婦人や子供さんたちを対象にチーママが同ホテル囲碁サロンで開いている囲碁教室の生徒さんたち数十人に、ちかちゃん、かささぎさんをはじめ千寿会からも5人のオヤジが参加。我がアイドル・佳歩ちゃんと美人の母上、ちょっぴりオトナになった院生経験者のM君らの顔も見えた。

 講師はチーママに加えて、東の貴公子・高梨聖健八段と“スイさん”こと水間俊文七段。サービス精神に溢れたスイさんはご婦人を相手に一段と懇切丁寧な指導ぶり。対照的に貴公子は置石が多い生徒さんにも手を緩めず、しっかり数目勝ち切ってにやにや喜んでいる。「お強くなられましたね」と最後に一言取って付けても、指導を受けた妙齢の美人生徒さんはぷっと膨れ面のまま。よせばいいのに私は、「悔しがる表情がなかなかイイ、碁が強くなる顔をされている」などとはやし立てたのだが、後で聞いたらその美人はホテルのお偉いさんの奥方だったようだ。

 指導碁が終わるとケーキとお茶でパーティーの開宴。招待奏者によるバイオリン演奏が済むと、次は女子生徒さんがピアノで日ごろの勉強成果をご披露。幼稚園児らしい女の子、幼女から少女へと変貌中の佳歩ちゃんに次いで登場したのがチーママの愛娘アンナちゃん。背丈はママより大きくなってふとオトナっぽい表情を覗かせたりする。——嗚呼、新しい年を迎えるたびにみんな歳をとっていくのだ。めでたくもあり、めでたくもなし——アンナがヨーロッパ仕込みのタッチで奏でる曲を聴きながら、私は幻想の世界へさ迷い始めた。


 縄文時代からオヤジがいたように、私が青少年だった頃にも周囲にオヤジはうようよいた。私は基本的にいい子ぶりっ子だったから、概ね適切な間合いを取って大過なく共存してきたつもりだが、付き合いにくかったのは「ナニゲにマジなオヤジ」。中・高校生の頃は「本を読め」だの「女性にウツツを抜かすな」だの、受験生の頃には「すべてを忘れて勉学に励め」だの、社会人になってからも「仕事のできないやつは男じゃない」だの、徹夜麻雀帰りには「いい加減、現実に目覚めてまじめに生きろ」だの、ずいぶんうるさく説教された。

 親身な愛情が少しでも感じられれば素直に聞けたのだが、ともすれば未熟な当方を恰好(かっこう)な酒の肴(さかな)にして面白がっている風情がありありとしていたから、「自分が認める人間以外の話は決して聞くものか」などと肩肘を張っていた。顔で迎合しながら、心は理由なき反抗を尖らせていたかもしれない。フツーの人生を送った私はまだいい。1手先の人生がきわめて読みにくい棋士の場合、特に修行時代に「マジなオヤジの恰好の肴」にされることがやたらと多かったのではないか。


 月巡り星流れて幾星霜。いつか私はどっぷりとオヤジそのものになった。耳に快かざるは聞き流し、あるいはすぐに忘れ、年若き発展途上の青少年を見れば何かと説教したがり、同年輩と酒を飲み合えば「いまどきの日本人は品格がない。昔はこれこれだった」などと悲憤慷慨してウサを晴らす。碁でもしばしば的外れな批評が飛び出してご迷惑を賭けているかもしれない。その一例が「シタテに対するノーガキ垂れ垂れ」だ。

 ところで、私自身どれだけ進歩したことか。碁にのめりこみ始めてもう干支ひと回り以上が経つが、伸び代(しろ)がたっぷりとあるザル碁の身で2目上達したかどうか。地元の強豪に相も変わらずボコボコにされ、千寿会の大先輩で森進一ファン(関係ないか)のJ氏には私が最も嫌悪する「筋悪の力碁の典型」と決め付けられる始末。たくせんさん、M女、K教授、A元教授らが伸びていくのはわかるが、最長老のちかちゃんでさえ、最近私を痛めつける機会が多くなった気がする。

 わずかな救いは、私より少しばかり若く、囲碁環境もはるかに恵まれているかささぎさんがこの10年間、私の遅々とした歩みにご同行いただいていること。そしてもう一つ、「碁が広くなった」との実感。以前なら、布石の段階でウワテに目はずしや高目に打たれるといやな感じがしたが、今なら「いつ締まりますか、それとも機を見て私がかかりましょうか」と自然体でいられるようになった。もちろん「手抜き」の妙味もわかり始めた(ただし、私の棋風を熟知される貴公子は「1手パス」と断じるのだ)。それでもノーテンキが進行する私は「1年前の自分と対局すれば、今の自分が勝てる」という感じをここ10年来持ち続けている。加齢こそ「碁を広げる」大きな要素(そうだ、これを新年の書初めにしよう!)。この一点にすがって、新年も精進しようとぞ思ふ。


 パーティーの前日は今年最後の千寿会。様変わりした有楽町界隈で忘年会を行い、しこたま飲んだ勢いで二次会のカラオケに繰り出した。びっくりしたのは、初めて耳にした貴公子の男らしく荒ぶる歌声。尾崎豊だか「ゆず」だか中島みゆきだか、いつものぼそぼそ声とはまるで違って思う存分自分を主張している。来年はいいことがあるのかも…世が世なら占い師になりたかった私は微笑みを浮かべ、一人頷いた。

 そして最大のハイライトはチーママが歌い上げた「てんとう虫のサンバ」。表情も仕草もまるで少女のよう。チーママの青春時代はどんな風だったのだろう。学校の勉強が大好きだったのに大学進学をあきらめ、文学全集に傾く気持ちを無理やり棋書に向かわせ、もしかすると初恋の彼とも切なく別れ、猛父が指し示した棋士人生を一心不乱に走り出したのだろうか。

 いつの間にかマイクはカラオケの帝王かささぎさんの手に渡り、「心の旅」をがなりたてている。35年も昔に男声グループのチューリップが大ヒットさせたロック調のポップス。じっくり聴いていると20代だった我が身に起きたあのこと、このことがつい昨日のように蘇る。私はそろそろ老い先が短くなった一介のオヤジに過ぎないが、たちまち青年にも少年にもなれる。あの頃の感性だってまざまざと思い起こすことができる。そして今、ザル碁に興じながらいろいろな友とめぐり合った。碁とは何か、人生とは何か、加齢とは何か——。あ〜、だから今夜だけは〜幻想に浸っていたい〜。

亜Q

(2007.12.26)


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