囲碁年齢

 「老・壮・青ががっちり組み合わされた理想的な布陣」ーー。大時代がかった表現で新内閣を称えたのは、小泉後見人を認ずる“シンキロー”さんだったか、“そうはイカンザキ”さんだったか。

 魑魅魍魎が棲むと言われる政界では、独特の年齢感覚がまか通っているらしい。四十〜五十代は「青年」、六十代、さらに七十代でも「壮年」、やっと喜寿、傘寿の頃から「老年」。だから二十代、三十代は「ハナタレ」だなんて言われる。

 これに似ているのがアマチュア碁界。碁会所や大会などでは「壮」と五十代の「青」が幅を利かし、二十代から四十代にかけて層が薄い「その他の青」は、「老」と二十歳未満の「子供」と共に少数派になる。

 このアマ碁界からするとプロ碁界は“ドッグイヤー”に見える。並みのアマが苦節ン十年かけてやっと高段者になるのに、彼らは十歳にもなればアマ一流、二十歳かそこらでアマ八段・九段格に当たるプロ入段と相成る。だから、ケーゴ、チョーウ、ハネら二十代が「青」、ヨタロー、ユーキ、セーケン、キミオら三十代は「壮」、チクン、コーイチ、タケミヤ、サトルら四十〜五十代初めにかけては「熟」、イッシー、カトー、チク・リンら五十代後半〜六十代ともなれば「老」、逆に「青」を追い上げるマゾガミ、ジロー、スジュンあたりはまだ「少年団」か。日本よりさらに若い韓国・中国では“スーパードッグイヤー”になるかもしれない。

 千寿会では、千寿先生の広い人脈を反映して十代未満から七十代まで、男女の比率も含めてまことにバランスがいい。「壮」世代は、会社経営の傍ら地域の子供たちに碁を広めるボランティア活動を展開する快男児F氏、15年余をかけて呉清源の全棋譜789局を並べ尽くした普及指導員のH氏、漢籍に通じ、奥深い中国文化の紹介者でもあるたくせん氏ら。「青」は千寿、健二両先生(プロのランクでは「熟」)、当サイトの管理人O氏、法曹界で活躍するハンギャパパ(別名青江氏)ら多士済々。

 しかし千寿会の最大の特色は次代の「青」を担う国際色豊かな「空色グループ」だろう。ピーチの志を継いで院生修行を続けるオンドラ、ベンヤミン、東北大学でエレクトロニクスを学ぶバリーらの欧州勢、千寿先生の片腕となって会を支える性別不祥の風太郎を中心に、ユカタン、ハンギャセガレ、なっちゃんらの大学囲碁部(OBを含む)衆、さらに院生修行を始めた小学生コンビ、魚返君とナミちゃん。

 彼らが「壮」「青」と手談を交わす光景は感動もの。棋力は共に拙いながらも、着手に思いを込めてけなげに模索する姿はまことに美しい。年齢や社会的立場を超えて、真理を求めてやまない同じ一個の人間として、敬意と共感をふと感じたりする。

 何やら話が説教臭くなった。読み終えたばかりの『徒然草』の影響かも知れぬ。その場その場ですぐに感化されやすい私の唯一の欠点が顔を出したらしい。そんな時の助け舟は“愉快な
歩行者天国”「M師匠とその仲間たち」。

 一番弟子のカオル嬢の打ち碁は少女の如し、上手は思わず徹底的に可愛がりたくなるが、飲みっぷりは熟女の如し。「必殺のオキ」を得意技とするマヤ女は脱兎の如し。ところが碁盤外のマヤがモー娘だか何だか当世流行り歌を絶唱している様は高校生に見えなくもない。そろそろ不惑に近いM師匠は「老成」を目指しているらしい。明るく賢く、無駄な紛糾を避けて大局に着眼しようと試みている(実行力はさておいて)。しかし、エルビス、ビリー・ジョエル、ビー・ジーズ、イーグルズといった我々世代の持ち歌を背伸びして歌う姿(これが抜群!)は二十代にも見える。

 私が賢しらにレッテルを貼った“ホコテン”に集う面々の棋歴は一様に浅いが、掲示板に書き込む人間描写は既に高段者。人非人の二十面相を相手に奮闘するM師匠を助ける少年探偵団にも、ノアの方舟に乗り込む若き信者集団にも似ている。否、凡愚の私には実像が見えない“聖者の行進”なのかも知れない。

亜Q

(2003.9.27)


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