耳赤・恥の一手 亜Q-聖健 パート2E

参考図1

 次の1手、黒66に進む前に切実な“待った”をしたくなりました。重要容疑者は、白59ハネに何気なく伸びた黒60(9-八)。代わりに打つべきは、12-十一(右図黒1)への先着だったのではないか。11-九切断をにらまれた白は、9-八(黒60の着点)にアテを決めるかどうかはともかく、結局11-十(右図白2)カケツギに戻すぐらい(15-十切断をにらんだ利かしは黒を固めるから打たないでしょう)。そこで10-十二(右図黒3)あたりへ白大石を攻めながら右下の模様を囲ってしまえば、たくせんさんが理想とされる「五十目勝ちの碁」が見えてくるではありませんか(参考図1)!

 もちろん白は、(黒60を手抜きした)右辺から目がないまま盤上方を横断しつつある黒大石を遠からず咎めにくるでしょうが、行く先の左上には序盤に黒22(6-七)と手を入れておいたパラパラと配置された黒5子の援軍が待ち構えている。数目の地を確保しながら所帯を持つことはザル碁の私でも容易に思えます。何しろ、死にさえしなければいいのだから、トカゲの尻尾切りは全く厭いません。

 局面を大きく左右するこんな肝心なところを貴公子は一々手を取って何も教えてくれるわけではありません。私もオトコですから、それを「冷たい」などと怨じることだけは身を裂かれてもしたくない。むしろ、少々怒ったようにノータイムで白61と飛び出した貴公子の背中を見て猛省すべきでしょう。ハネられたらまず切ることを考える。この厳しさが絶対的に不足していることを、1年ほど前にトップアマの木下暢暁強豪(梅沢由香里姫との対局がこのページの下の方にあります)から指摘されていたことを思い出しました。
 もっとも、この“待った”についてはザル碁の私が一人勝手に考えたことで、着手に重大な欠陥があるかもしれません。心ある諸兄のご意見・ご教示をぜひともお願いしたいと存じます。

第六譜 (66-86以下略)

 さて、実戦で私が打った黒66は7-十六と白9を抜きました。前譜Dの末尾に記したように、白7-十六からの逃げ出しと15-十切断という、気になっていた弱点を何とか同時に防いでホッとしていましたが、これがきわめてぬるかった。でも持つべきは道連れ。先日の千寿会で私の3子局を粉砕していただいた強豪のあてこみさんに同調していただきました。暗い夜道に同行二人。私よりはるかに歳若い友人の心温まる友情を感じずにいられません。

参考図2

 ここで貴公子が推奨されたのは、11-十二(白73)ノゾキ一発。黒11-十一ツキダシからの切断を見ているから、白は同点をツナグぐらいが相場。この利かしは白7-十六からの逃げ出しも防いでいるので、右下から下辺につながるラインを戸締り(12-十六あたりに控えても十分とのこと)しておけば決まっていたようです。そもそも白がシチョウ有利になった時点で参考図2に示すように白1から動き出しても黒10まで白を閉じ込めることができるから、大石の不安を抱えている白はなかなか実行できない。むしろ逃げ出しをにらみながら上からの利かしを狙う程度だけれど、ここまで来てはタイミングを逸してしまっている、とのことのようです。

 あてこみさん以外のお三方、たくせんさん(11-十四)、梵天さん(10-十三)、まーべらすさん(12-十四)はいずれも正解に準ずる好点と言えるでしょうか。しかしザル碁の私には、11-十四には白14-十五ツケ、10-十三や12-十四には11-十五のカタあたりからの様子見が脅威に思えてしまう。何しろ相手は貴公子なのだから。その点で、相手に直接対応を迫る11-十二なら黒が先手を取って右下に回れる可能性が高いのではないでしょうか。その意味で、たくせんさんが11-十四から11-十二へと久米潜望鏡(女性の美脚を覗いて仙界から落ちたという久米仙人の「ノゾキ」の意味でしょうか)を見込まれていたのはまことにアッパレでした。さりながら正直に言えば、貴公子が示された「正解」を打てたとしても、白が黒からのノゾキに手を抜いて(つまり白61や63は切り離されても大石の頭だけは出しておいて)、11-十六ツケ(11-十五カタなら下から渡ってまだ余っていそう)あたりから黒の金城湯池の中心部を根こそぎに荒らしにかかられたらどうすればいいのか。凡才の悩みは尽きません。

 実戦は黒66の緩着に乗じて白67(13-十五)へ飛び込まれてしまいました。ここでも黒は11-十二ノゾキを利かして13-十三にツケ、白が右でも左でもハネ出してくればさらに二段に押さえて強硬に切断すればよかった。「白67は13-十四1間トビが本手だったけれど、それでは勝負形を得られない。無理を承知の突入でした」と、貴公子から局後に明かされてももう遅い。下辺を受ける気持ちをなくした私は今さらのように梵天さんが黒66の候補に挙げられた10-十三にボウシして白大石へのヨリツキを目指しました。以下、下辺を破られた私は黒82、白83の交換まで応急措置を講じ、左辺黒84、上辺黒86へと回ってヨセ勝負になりました。

 一つ離れた隣では「負けました」とのかささぎさんの声。お隣の彩香ちゃんも、貴公子の大石を取り込みながら、敢えてさらに大きく逃がしてほとんど取りかけに成功していながら大魚を逃した様子。でも伸び伸びとした着手を貴公子から大いに褒められていました。何でも最近、念願のT大大学院に合格されてこれから「公共政策」を学ばれるとのこと。閉塞状況の日本の未来を託す若い人が碁をたしなむ姿は実に頼もしい。彩香ちゃん頑張れ!

 貴公子は両者とのポイント解説を並行して進めています。いつもなら私も身を乗り出して質問や感想戦に口を出すところですが、今回はここで生じた時間的余裕を自分の碁につぎ込みました。この後の手順は略しますが、左下方面の黒っぽいところをガラガラにされた(それどころか黒68、72の2子を取られて10目近い白地が出現しました)半面、上方に約10目、左辺に数目の地がつき、微小なリードを保っているかどうかというところで、白に痛恨の失着。右上からの黒の連絡を強要しながらヨセる過程で、白の権利だった18-十一に黒から大きな逆ヨセを打たれてしまいました。白がここを先手で打っておけば、いつものお約束の通り、黒が負けていたでしょう。「これまでと違って、黒は終盤でポッキリ折れなかった」と、これは貴公子の私への褒め言葉だったと思いましょう。その後数手を経て、白は投了してくれました。

 千寿会が引けた後の飲み会にお付き合いいただいた貴公子は、「昨年は棋士になって初めて負け越しました」と問わず語りにつぶやきました。この1年半あまり千寿会にも顔を出されなかった貴公子は絶不調の谷間でもがいておられたらしい。思い起こせば一昨年の今頃は阿含・桐山杯タイトルを目指して快進撃、並行して初の棋聖リーグ入りにもリーチをかけた。ご存知の通り、いずれも痛恨の逆転負け(それぞれの顛末はこちらこちらをどうぞ)を食らって、タイトル賞1000万円と高額賞金のリーグ戦5手合い(さらに棋聖挑戦への夢も)を共に逃しました。

 平成元年に入段して以来最悪の1年半のきっかけになったのは阿含・桐山杯でのウックンだったか、棋聖リーグ入り決勝相手の宮沢吾朗九段だったか、あるいはそれ以外の理由かはわかりません。しかし季節はめぐり、長く暑い夏が過ぎ去り今は実りの秋。そして、周囲に福をもたらすと言われる座敷童子(わらし)ならぬ“碁盤童子”の異名を持つこの私を1年半ぶりに教えてくれたではありませんか。ここ当分は「“亜Qの藤原佐為”になって棋戦を勝ち抜こう」をモットーに、大器晩成への道を邁進していただきたい。この秋から冬、そして来春にかけて、盤上でも盤外でも来年5月に迎える40代への花道をきっちりと歩まれていくことを祈念してやみません。

 そしてこちらをお訪ねいただいた心深き変人諸兄の皆様、ザル碁の私に温かくお付き合いいただいて、まことにありがとうございました。さらに今回の棋譜の管理、再現に一方ならぬご面倒をおかけしたかささぎさん、「口を出してもいい」と私が言ったのに最後まで機密遵守を貫いていただきました(そのせいか、投稿者が少なくなったようですが)。いつもながら、暖かいご支援をありがとうございました。

亜Q

(2010.10.19)


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