耳赤・恥の一手 亜Q-聖健 パート2B

 「予想通り」などと言ったら生意気ですが、やはり右上から右辺へのシマリまたは右辺開きをご指摘される声が多かった(たくせんさん、世界碁さん、梵天丸さん、ototo先生)。シマリか開きか、いずれの場合も四線に高くしたい雰囲気がしますが、シマル場合は1間か2間か、どれも言い分がありそうで迷います。

 私の棋風とか出題傾向を読んで“穴馬馬券”を当てに来られたのが、fermiさんとまーべらすさん。それぞれとても興味深い着点で、まことに感服いたしました。だから感想戦は面白い、碁は広いとはしゃぎたくなります。

第三譜 (22-35)

 ところが私が打った黒22は、ototo先生が第一感で触れられた左上の6-七。「左辺は見なくてもいいのではないか」などと前譜で言った手前、我ながら少々気が差しますが、実は「ここへ打て」と碁盤に囁かれたような気がして、ここしか目に入らなくなっていました。敢えて後付けの理屈をこねれば、早いタイミングで白から6-六あたりに飛び出されると、左上方面のパラパラした黒数子や左辺に孤立した黒2(4-七)をにらまれて中央はマグサ場になるし、全局的に薄くなりそう。そこで、攻めの対象になりかねない既着の黒数子を何となく連携させて白をやんわりと封鎖したつもり。もし白が内側から黒の封鎖を破ってくれば、喜んで尻尾を捨てながらさらに外側に鉄壁を構築する——と、独り善がりなことを考えていました。

 しかしこんな実質が不透明で意図があいまいな手よりも、左上は軽く見て最も大きそうな右上を足早にシマルか開くか、それとも天元あたりに全局的な芯を入れるのか、さらにそれらをすべて含みに左下をもう一つ利かすのか——六名の方からいただいた着点の方が実戦的で有力かもしれません。いずれにしても、ここは「どれも一局」となるのでしょうか。無責任ですみません!
 そもそも黒22自体は部分的にはしばしば見かける手(確か名人戦第2局で井山名人も打ったと記憶しています)。全局的に最善かどうかは別として、「このタイミングで打つかどうか」が評価のポイントになるのでしょうが、貴公子は「この局面でボクと同じような手を打ちましたね」と言ってくれました。

 亡くなられた中山典之七段の表現(「今日の蛤は重い」とつぶやいた梶原オワ先生を詩人にたとえたテンコレ文士=中山七段の名著「囲碁講談」参考1参考2)をお借りすれば、この時きっと私は詩人・北原白秋になっていました。“あ〜あ〜、さうだよ〜お〜”と、大正・昭和の名歌「この道」(曲・山田耕筰)を心の中で朗々と口ずさんでいたのだから。さうとも!自分で言うのもおこがましいけれど、何局か教えていただいているうちに、貴公子は私にとっていつしか「藤原佐為」になっていました!酒の好みもタバコのくせも、ついでに髪型も体型もイケメンも、おそらく似てきているに違いありません。

 いい歳してみっともなくも一人で陶酔していると、案の定、白23は右上にカカッテきました。黒24はノータイムで1間バサミ(17-八)に石を置きかけましたが、その上(16-八)にツケられたりして中央への足がかりにされたり、左下でシチョウに抱えた白9(7-十七)の動き出しなどを見られるのではと怖気づき、1路上黒24に挟みました。貴公子はあっさり三々に替わり、右辺の模様化を主張した黒34にも、白35とじっと力を蓄えて黒に手を渡します。迷った末に打った黒36を次の一手にさせていただきます。

亜Q

(2010.10.3)


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