耳赤・恥の一手 亜Q-聖健 パート2A

 第1譜には5人の方からご回答いただきました。敢えて大別すれば、「下辺星または星下へのハサミ」、「左下隅の鉄柱または1間飛び下がり(参考意見)」、そして「右上1間ジマリ(同)」とのご指摘もありました。大盤解説を覚えていた方は別として、回答を留保された方の中には、同じ答えが既に出てしまったので見送られた方も居られるかも知れません。回答が少数に偏るのは、出題がザルだったと認めざるを得ません。皆様、ごめんなさい。でも、敢然と異説を披露していただいた梵天丸さんには特に感謝したいと思います。白に開かせたうえでまとめて攻め立てようという深遠なる構想をもって、梵天丸ライオンはひ弱い亜Q羊をいつも餌食にされるのでしょう。たくせんさんが示された左下飛び下がりは白に開かせる趣向は同じでも、その後左下隅をシマって実利を確保する意味で梵天丸さんとは方向が異なると言えるでしょうか。

第二譜 (10-21)

 しかしここは、やはり右下のシマリを背景にいっぱいに挟むところらしい。貴公子が示された着点は9-十七の1間バサミ。白は直接動き出すのは重そうなので、実戦のように白11にかわす可能性が高い。この時で黒が5-十七に遮るのは白4-十六から隅に振り代わられ、通常の三々入りより1路広いから黒不満。勢い、黒が4-十六から四線をビシビシ塗りつけて白が実利、黒が厚みの分かれになり、「それで十分」というのが貴公子の裁定でした。ところで余談ながら、いっぱいに挟まれた白が11にかわさず、堂々と7-十五へ1間に飛び上がって裂いてきたらどうしますか?私はとりあえず左辺は放置して、いっぱいに詰めた9-十七から10-十四あたりに大ゲイマなどで追随しながらあくまでも右方を大切にしたいと思いますが皆様はいかがでしょう。

 さて実戦に戻り、黒10で私は“何となく”10-十六の星に挟みました。たくせんさん、fermiさんと同じです。ただお二人はいざ知らず、私はなるべく何事も決めずに緩やかに先送りする怠惰な棋風からの着点。この欠陥が後の進行で顕在化します。白11から黒14までは想定通りの進行でしたが、ここで白15とハネられて上述のような明快な壁塗り路線から少々変更を強いられました。ここで、例えば黒3-十五以下唯々諾々と白の言い分を通すことはいかに軟弱な私でもできない。断固、黒16(6-十七)から出切りましたが、黒20とシチョウにカカエた時に黒10が中途半端な位置にある。まーべらすさん、世界碁さんがご指摘された1路下の10-十七も似ていますね。そして白21と絶好の伸びきりを許してしまいました。

 しかし、ものは考えよう。互い先なら甘くても、この程度の損や形の乱れは織り込み済み。むしろ置き碁感覚なら局面が狭くなったメリットの方が大きいのではないか。当分の間、小さくなった左辺は考えるのはもちろん、見る必要さえない。シタテにとって、これは小さくない成果ではないかと前向きに考えるのがノーテンキな私の性格。
 私の隣では、彩香ちゃんが果敢に貴公子の石を攻めている。白が左下に構築した壁を背景に左辺に既着の黒の要石を大きく挟んだのを、黒は内側からツケ(局後、貴公子に「才能を感じた」と言わしめた鋭い1着)て、まさかの壁攻めをもくろんだようだ。若い女性アマ、彩香ちゃんの逆襲を貴公子は予測していなかったのか。それとも困っているのだろうか。いずれにしてもしばらく考えそうな雰囲気。さらに向こうのかささぎさんの盤面はきちんと見ることはできないが、「あ、いややぁ〜」とか「グハッ!」といった黄色い悲鳴は聞こえてこないから、早打ちのかささぎさんのリズムで進行していることは間違いない。三面打ちではこうした「隣の状況」が結構影響する。おそらく長考派に属する私にとって、教えてくれるプロ棋士が多面打ちするそれぞれの相手に少考を重ねてくれると、とても打ちやすいのです。

 さて、多少狭くなったとは言え、局面はまだまだ広い。白7に続いて再び手を渡された私がここで首をかしげながら打った黒22あるいは諸兄が最善と考える手を予想してください。貴公子は私が打った手について独特の変化球表現で感想を漏らしてくれたが、私はとてもうれしかった。これはちょっとしたヒントになるでしょうか。

 なお、次の1手にさせていただいた以外の途中経過での着手についても遠慮なく突っ込んでください。大盤解説を覚えておられる方も、気になる着手や流れに違和感などがあればどうぞいろいろなご意見、疑問などをぶつけてください。思いがけないご指摘から「こんな考え方もあるのか」と目からうろこが落ちることが少なくないのです。そもそも私は感想戦大好き人間なのだから。

 蛇足ながらもう一つ。前稿の@で当然書くべきでしたが、本稿のタイトル「亜Q-聖健」について。プロの先生にちょっと失礼かなとの自覚がありますが、実は中国人作家、魯迅の「阿Q正伝」をもじらせていただいたつもりです。阿Qは独特の“精神的勝利法”(深読みすればなんとなく意味ありげですが、要するに“負け惜しみ”)を実践して、舌先三寸で世を渡る出自卑しき流れ者。つまらぬことから最後は刑場の露となるけれど、私にはどこか憎めない愛すべき人物。このサイトを訪れていただいた心深き変人諸兄の皆様、この「阿Q」よりさらに偽者の「亜Q」にどうぞしばらくお時間を割いていただければまことにありがたき幸せです。

亜Q

(2010.9.21)


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