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ハンス・ピーチ六段 追悼ページ
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「盤上の夜」 宮内悠介著

ニコ生の名人戦挑戦手合七番勝負第3局の1日目の中継を見ていたら、記録席に見慣れない茶髪の若い男性が座って。将棋界では派手な茶髪をした棋士がいるが、囲碁会では珍しい。ニコ生のコメント欄に誰だ誰だという声で担当さんが聞きに行かれところ、作家の宮内悠介氏だった。たぶん、朝日新聞社が観戦文を書いてもらうために呼んだのだろう。

氏の書である「スペース金融道」は昨年を代表する本として何人かが挙げていたので、私も読んた。アンドロイドと人間が共存する世界で宇宙の果てまで貸した金を取り立てに行く取り立て屋が主人公で量子ファイナンスという用語まで出てくる面白いSFだった。

この本の作者がこの人なのか、「若い」と思ったのが第一印象だった。今朝、偶然、同じ作者の短編集である表題の本の第一話である「盤上の夜」を読み終えたところだった。15歳のときに中国で薬で眠らされ、気がついたときには四肢が切断され性的頑愚にされていた女性の話である。その女性を買ったのが賭け碁師で、その対局を見て碁を覚え、策をねって日本に帰国し棋士になった。そのときに介添えしたのが元棋正であり、棋士を引退し女性の代打ちとなった。女性は初めての女性本因坊となり、碁盤を自分の身体の一部と感じるようになった。これ以上は、私が説明するには難解で、興味があれば本を読んで下さい。同氏はこの他にも「月と太陽の盤・吉井利仙の事件簿」という本も出されている。

かささぎ

(2017.9.21)

爛柯堂棋話(らんかどうきわ)

林 元美(はやし げんび) 林裕校注 平凡社 1978.6

 林元美(1778-1861)は江戸時代の囲碁四家の林家の十一世当主。本来坊門(本因坊家の弟子)であったが、十世林(鐵元)門入の死去に伴い、坊門から移り林家の当主となる。旧姓は舟橋。
 林家では代々門入を名乗る例が多いが、林元美はこのままで通した。
 引退(1849)後に(1852)八段を許された。
 この本は、1849年に発行された。そして林家分家の林佐野から、その養女の喜多文子に伝えられた。
 1914年、林佐野の三女の女流棋士林きくがまとめて、大野万歳館より出版された本がこの本のもとである。1849年の原本は失われてしまった。写本が国会図書館にあるという。

 囲碁の史話、説話、随筆、記録類を集め、注と評論を加えたもの。囲碁界にあっては貴重な資料である。
 だだし、市井の噂のような根拠の薄い話もあって、注意が必要である。たとえば、日蓮と弟子の日朗の対局、武田信玄と高坂弾正の対局、真田昌幸・信幸親子の対局などが、棋譜とともに紹介されている。すべて疑わしいのだ。偽作らしい。
 本能寺の変における三劫の話など、あちこちに引用されていて、歴史的事実であるかのように扱われているが、確認できていない。
 第一世本因坊算砂が、秀吉によって碁所に任命された話は明らかな間違い。当時は碁所の制度はない。
 その他の話も、引用するときは注意が必要だ。
 当時のエンタメとして書いたのかもしれない。それでも貴重な情報が多い。多くの棋譜は特に貴重である。残念ながらわたしには鑑賞するだけの力がない。
 本文は江戸時代の文体である。写真はその一例である。こんな調子で書かれているので、かなり読みにくい。下巻P122。
 碁では引き分けを持碁という。写真の文はそのことに触れている。わたしはこの部分を読みたくて、この本を手にした。

 囲碁贏輸(勝ち負け)なきを持碁と云うは、正字にあらず。歌合わせに勝負左右にこれ無きを持と云うに倣えるなるべし。しかれども、「囲碁三十二字釈義」(『玄々碁経』)を見れば、持は「せき」の事をいうなり。持碁の正字は芇なり。……
 次のように解釈した。
 引き分けを日本では持碁(じご)という。しかし正しくは芇(べん)である。ゆえに芇の字に「じご」の訓を与えた。
 現代中国語では和局という。書物上ではなく口語では、芇(べん)はいつ頃まで使われたのだろう。


 音読み:ベン、 メン、 バン、 マン
 訓読み:あたる、 じご

 写真中に“路”とあるが、助数詞で一路は一目。唐代あるいはそれ以前に中国で用いられた。

謫仙

(2017.9.10)

追悼 亜Qさん

このHPの最多投稿者でもありファンの多かった亜Qさんが8月14日ご逝去されました。享年72歳。ここに謹んで哀悼の意を表し追悼の拙文を寄稿いたします。

私がこの会に入り亜Qさんとのお付き合いが始まってから15年になります。自宅が隣駅ということもあり千寿会以外にも密度の濃いお付き合いをさせて頂きました。百戦は超える最寄り駅碁会所での番碁(実力が拮抗しており、憎さも憎し懐かししの間柄でした)、拙宅にお招きしたり、ご自宅にお伺いしたり、亜Qさん・かささぎさん・謫仙さん・梵天丸の4人碁会、ランチ会、つくし会、明友会など本当に楽しい親しいお付き合いが続いており、終生の友と共に任じておりました。あまりにも早い別れは残念でなりません。

以下思いつくままにエピソードをご紹介しお人柄を偲びたく思います。

異色のキャリアと文才
名門で応用物理を専攻されたのに大手新聞社に就職。当時は大変珍しい存在であったと思います。文才豊かで小さなネタを面白おかしく膨らます文筆力は只々驚嘆です。お酒の席では「亜Qさん、ホントに応物?文学部じゃないの?」などと突っ込む方がいらっしゃいました。このHPの雑記帳にも数多くの面白ネタが投稿されていますのでご覧ください。お勧めは「オーリッセーの手」です。

プロ棋士とのお付き合い
プロ棋士のお知り合いがとても多く、就位式や受賞パーティー等でよくわかりました。初対面のプロ棋士にも、「挑戦手合い第〇局。素晴らしかったですね」など相手が思わず相好をくずしてしまうツボを心得ておられ、すぐに仲良くなられていました。因みに遺影はA女流プロの指導碁(4目勝ち)のあとの最高のご満足のご様子を撮ったものでいいお顔をされていました。

優しく手をさしのべる亜Qさん
後進のサポートにも気を配られていました。13路盤のクラウドファンディング大会への出資、FACEBOOKで元気がない様子と分かると励ます会を開催、若手への物心とものサポート、プロ棋士T&I結婚お祝い会の企画(これはタイミングが合わず実現はしませんでしたが、動かれていました)躊躇なく実行されていく姿は以って範とすべしとの思いでおりました。

7月22日の千寿会に出席され、声がかすれていたのが気になりましたがお悪いとは気がつきませんでした。後ほど奥様にお伺いしたところ、体調が悪く7月26日に入院されてからは急速に容態が悪化されたとのことでした。改めて 心よりご冥福をお祈りし合掌。亜Qさんありがとうございました。

梵天丸

(2017.8.30)

幻庵(げんなん)

百田尚樹   文藝春秋   2016.12


 古来、中国では琴棋書画が君子の教養であった。棋とは碁のこと。
 この碁を爛熟させたのが、江戸時代の日本であった。それは幕府の家元制度によった。
 碁の家元制度は実力主義である。本因坊・安井・井上・林の四家があり、それを取り締まる名人碁所(ごどころ)が頂点にいる。碁所の権力は強大である。碁所になるには名人にならねばならない。
 この名人を目指して技を磨き、同時に碁所の地位を争う。江戸時代の二百六十年間に誕生した名人はわずか8人。
 幻庵とは、十一世井上因碩(1798-1859)のこと。隠居後、幻庵を号とした。
 本来十世であるが、幻庵の時代に一世井上因碩の前の中村道碩を一世としたため、十一世と伝わるようになった。今から見ると児戯に等しい。
 井上家では代々因碩を名乗ったので区別するため、引退後の号をつけて、幻庵因碩と言われる。八段(準名人)になった。名人は原則1人であるため、一応最高段位に登ったといえよう。

 幻庵因碩の時代を中心とした、戦国から昭和までの囲碁界の様子を俯瞰した小説だ。さらにAI囲碁まで言及している。
 主人公は幻庵を中心とした同時代の棋士たち。ライバルの本因坊丈和も幻庵なみに生き生きと書かれている。
 特に対局シーンは迫力がある。これは著者の文章力のたまものだ。ただ、棋譜のない観戦記のような文は、読んでいてもどかしさを感じることがある。しかもかなり大げさに感じる。
 “恐ろしい手”だとか、“凄まじい妙手”とか、言葉を並べられても、ホントかなと思ってしまうのだ。
 江戸時代の碁は失着が少ない。それは時間に縛られないことと、公式な対局が少ないことにあった。高段者のみが年1局である。それに準ずるような対局も、多くはなかった。少ない機会を生かさねばならない。ゆえにその1局に集中する。現代碁とは異なり、原則、時間は無制限。1日では終わらないことが多かった。失着が少ない理由である。
 現代は年50局でも珍しくない。時間の制限があり、秒読みはいつものこと。
 小説中で、ときどき碁の解説を加えるが、この解説では、碁を知らない人にはたぶん意味は判らないであろう。といって省いていいものか。
 碁は勝負を争う。しかし家元制度は芸術の域に高めた。たとえば、このままでは2目の負けとなる。そんなとき、投了するか、あるいは最後まで最善手を打ち、1目でも差を少なくしようとする。これが芸であり美学である。
 しかし、勝負手として逆転を狙う手を打つこともある。勝負を争うなら当然であるが、場合によっては、手のないところに打った、棋譜を汚したとして、その人の評価を落とす。
 あるべき姿はどちらか。登場人物も悩むところ。

 幻庵は、吉之助→橋本因徹→服部立徹→井上安節→井上因碩→幻庵(引退後の号)と名を変える。
 家元制度は実力主義、我が子でも実力がなければ篩い落とす。弟子の中から最強者を選んで跡を継がせる。適当な人がいなければ、他の家から貰い受ける。そのとき養子縁組をする。
 子は父の名を継ぎ、養子縁組後は新しい名となり、さらに義父の名を継ぐ。それで姓名共に変わっていく。同じ名の別人が登場する。当代か先代か先々代か。区別は前後の文ですることになる。
 事情は判っていても、人物を知らないと判りにくい。この人誰だっけ、という状態になりやすい。
 全体的に、歴史書を読んでいるようで、かなり冗長に感じる。この冗長部分を削り、幻庵に集中した方がよいと思う。
 持碁を芇と書き「じご」とかなをふる。芇に「じご」と仮名を振るくらいなら「持碁」でよいはず。芇(べつ)の字にこだわる必要性がないと思う。

謫仙(たくせん)

(2017.8.8)

印象に残る一手7に対して

梵天さん、とても面白い棋譜を投稿いただき、ありがとうございます。アンティ先生の工夫と相まって指導碁棋譜大賞をもらえそう♪ざる碁の愚生にも大いに勉強になりました。

以下は、弱々なくせに生意気な愚生からの恥を忍んでの愚問です。可能な範囲で貴兄の見解をわかりやすくご教示いただければ幸甚です。

1、白1三々は星と同様にこの1手で取り合えず済ませておく意味と習いました。小目、目外し、高目と比べると、すぐに応対する(カカリ)必然性が薄いように思われます。とは言え、 次の1手はどこか?アンケートを取れば実戦の黒2が圧倒的人気かもしれません。正解は碁盤の対称性からみて、おそらく右下がりの対角線上と思いますが、白1にあまり近づかない天元辺りでは如何でしょうか?ともあれ、結構面白いかも。

2、黒20に違和感。逆に白20辺りから来ることは愚生には考えられません。近い将来、26、27、54方面から動かす可能性を早々に消してしまうのは勿体ない気がするのですが?

3、30~36の構想は結果的に白37の1手で間に合わされ、黒56まで後手を引いた。その間黒は既にカス石と見られる白5子を収めて左下と下辺を安定させた。しかし白49が生き残っているのが癪の種で、ここまで妥協して黒の確定地はまだ25目ぐらい。白は右下に10目、いつの間にか白は51に回って左辺を封鎖すると共に未確定の少なからぬ地合を見込んでいる。さらに何と、盤上この1手とも言えそうな56カカリに先着!!

4、黒58が4線だったため、白は「お陰で方向が決まりました」と、59に這ってきました。黒の60は1間トビとどちらがいいかわかりませんが、次の白61は愚生には慎み過ぎに思われます(アンティ先生、ごめんなさい!!)。着点はともかく、4ー七辺りから黒2子に迫ってどこかで3ー十三に回り、左辺に一気に40目もの地を確保したいとは、勝手読みでしょうか?

5、私には白61は黒に大チャンス到来に見えます。なのに黒62とは何とも重たい。白65、67がない現状だから一気に64、または2ー十三辺りから左辺を蚕食したくなります。黒62、白63の後でも、最小限黒64は5ー九まで進めたいと思いますが、如何?

貴兄に勝てない愚生がこんな戯言を言い散らせば背中まで冷たい汗がいっぱい。どうぞ苦笑を抑えてご見解を教示願います。

いくつになっても恥を知らない男、亜Q拝

(2017.6.9)

印象に残る一手7(指導碁にもAIの影響?:A初段の打ちまわし)

第1譜(白1-白13)

A初段といえばアンティー初段です。千寿先生ご不在でしたが千寿会の代貸(?)を立派に務められました。(因みに千寿先生は柯潔九段 vs AlphaGo(AI)の対戦取材のため上海に:結果はご承知の通りAI三連勝。AI強し!)

A初段との3子の指導碁です。

AIの影響?その1(第1譜)

初手からビックリの連続でした。置き碁なのに3-三に潜り込み、白は三本這って13とワリ打ち。ハネツギを打たずにワリ打つことがポイントのようです。ハネツギは黒を強大にさせるので悪手とのこと。白は黒の厚みを消しているとの判断です。
第2譜(黒14-黒58)

AIの影響?その2(第2譜)

私はどう打ち続けたものか迷った挙句、黒14下がりから白のキリを誘い、切った白石をダメつまりにして攻める作戦としました。局後A初段からのアドバイスは、黒14下がりを決めず、右辺上からツメるところとのこと。(下辺の白ハイには押さえずノビるところ)

左辺で得をされ要の白5子の取り(黒52)にまさかの手抜き。右辺を打たれ一本取られた恰好です。AI碁の打ちまわしのように感じました。


第3譜(白59-白89)

AIの影響?その3(第3譜)

黒甘い手が目立ちますが、左辺を大きな地にさせなければ黒に残るとの判断からです。ここで痛恨の一手です。黒88の出です。抑えと代わって3-八にツケれば黒に残ると思っていたらまさかの手抜きで白89のケイマの囲い!いっぺんに細かくなりました。黒は単に89にコスむところでした。白88の手はA初段が大きいいところを打っただけで、AIの影響ではないと思いますが、想定外の手抜きはAI碁を彷彿させるものでした。

第4譜(黒90-白145)

その後を第4譜に示します。よれよれになりながらも辛うじてほんの少し残りました。アンティー先生が弟子のモチベーションに配慮されたものと思っております。

以上AIの影響?が、指導碁にも出てきたのかなと感じましたので、皆様に披露させていただきました。

梵天丸

(2017.6.1)

それも一局

それも一局
弟子たちが語る「木谷道場」のおしえ
内藤由起子   水曜社   2016.10


 

昭和の前半を代表する棋士、木谷實九段。冠は少ないが、(もちろん当時はタイトル戦が少なかった)プロ棋士を次々と育て上げ、呉清源九段と並び称された、昭和初期の大棋士である。
 自宅を「木谷道場」として、育てたプロ棋士は51人、日本の棋士育成を独りでやったようなもので、一時はタイトルは木谷門下のたらい回しと言われたこともある。
 木谷道場は平塚にあった。著者も平塚出身で碁を学び観戦記者となる。
 弟子は通いの弟子もいるが、ほとんどは住み込みである。著者はその弟子たちに接し、直接話を聞いて、木谷道場の様子を綴っている。

 いったいどのように教育したのか。
 弟子たちの碁を見て、「それも一局だね」とは、木谷がよく口にしていた言葉。
 この言葉は本来盤上をさして言う言葉である。碁が打たれ、途中で別な手段もあって、その後の展開が変わるとき、その別な手をさして言う。続けて打ってみれば拙い手もあろう。しかし、そのとき、その手が悪手とはいえず、その後が違った碁になるならば、「それも一局だね」と評価する。
 決して上から頭ごなしに指導することはなかったという。
 塾頭格の大竹英雄、三羽烏と言われた石田芳夫・武宮正樹・加藤正夫、さらに小林光一・趙治勲などそれぞれ個性が違う。それ以外の棋士も独特の個性で光り輝いている。これらの人が互いに磨き合っていた。
「それも一局だね」には「それも一つの人生だね」という意も込められている。どんな人生も一つの人生なのだ。
 木谷夫人の美春さんはもと地獄谷温泉の旅館の長女であった。毎日三十人分もの食事を作ったのも、その経験が生きたのかもしれない。夫人は七人の自分の子も、弟子たちと区別しなかった。個性を尊重した。そのため七人は全く違う道を選んでいる。
 プロ棋士ばかりでなく、周りの人たちの話もある。

 第11章では、海外の子どもたちの夢をお手伝い 小林千寿 
として、小林千寿六段の話がある。
 多くの欧州の青少年の世話し、二人のプロ棋士を育てた、異色の経歴の持ち主である。
 木谷家の長男である医師の健一さんから電話があった。
「君は父がやりたかったことをやっている。父は戦後の焼け野原をみて、『もし世界中の人が囲碁をやっていれば、こんな戦争は起きなかっただろう』ってよく言っていましたから」
と、海外普及の努力を評価した。
 順調だったわけではない。初めて育てたハンスピーチ六段は囲碁普及のおり、グアテマラで強盗の凶弾に倒れて亡くなっている。
 それから13年。去年になり、アンティ・トルマネン君が入段した。二人目のプロ棋士だ。

 不肖私は小林千寿六段のアマの弟子である。木谷九段の孫弟子ということになる。千寿会に参加してもう15年になった。入会して1年後の正月にハンスピーチ六段の訃報を聞いた。ハンスピーチ六段には一年間で十局ほど指導碁を打っていただいた記憶がある。
 千寿会に参加しなかったならば、全く違った人生を送ったことだろう。それも一局なンだが。

謫仙(たくせん)

(2017.3.5)

「幽玄の間」の終局問題

 先日、インターネット碁「幽玄の間」の対局で、おかしな事件(?)が起こった。
 わたしはすでに10年5千局以上打っているのであるが記憶にない。それが2日続いた。過去にもあって、管理者に解決してもらっていたのかもしれない。

 黒がわたしである。いま▲を打ったところ。その前の一線の白も問題だが、それは無視。
ここで白から何度も“終局要請”のメッセージが送られてきた。
一度目は“拒否”、二度目は「今は終局場面ではない」と書いて拒否、ちょうど管理者がいない時間帯だったので、三度目は「投了か引き分け要請かを押しなさい」と書いて拒否。
五回目で、自動的に“保留”になって終了した。

 続いて次の日にも別な人だが同じことが起こった。
 これもわたしの黒で、この場面で白から数度の“終局要請”、そして自動的に“保留”になって終了。
 自動的に保留になる機能があるなんて知らなかった。

 画面の右下にはこんなボタンが付いていて、ここをクリックするのだ。

 管理者から、丁寧な連絡を頂いた。こんな事が起こりやすいので、解決策を考えているという。
 ネット碁になれた方なら、事の意味が判り、解決策なるものも推察できよう。
 そうでない方のためにちょっと詳しく書く。

 これはまだいくつかダメがある。しかしこれで終局である。中国サーバーでもダメが空いた状態で終局しているので、終局には問題はないだろう。
 問題は、ダメが無くなったとき手が生じる可能性があることだ。それを片方が気づいていて、片方が気づいていないとき、どうするか。
「終局ですね」「……」となれば、「終局ですね」と言った方も、相手が同意しないのでまだ手があることに気づく。
 かと言って、相手は同意してしまっては、その手を打つことができず、勝ちを逃がすことも考えられる。
 こんな場合を考えて、プロは対局ルールが変わった。終局ですねと同意を求めることはやめて、黙ってダメを打つ。ダメがなくなったとき手の生じることに気づけば、その時点で手入れをする。気づかなければパスし、相手は打ってしまってよろしい。
 しかし、アマでは、今でも「終局ですね」と同意を求める。それが幽玄の間では“終局要請”だ。
 だから、この終局図はお互いが同意した結果の終局なのだ。幽玄の間はこれで勝敗が決まる。碁盤碁石を使うリアル碁では、この後にダメをつめ整地して地を数える。

 わたしは終局要請の時は“パス”をすることにしている。相手もパスをすれば終局である。だが手があると思えば、相手は続けて打ってよい。それがパスだ。
 これで上の問題の半分は解決できる。つまり終局要請に等しいが、相手は拒否ができ、着手権が手に入り好きに打ってよい。これでも悪意のある時は防ぎきれないにしても。
“終局要請”は着手権が移動せず、そこで止まってしまうのが問題だった。
 つまり解決策の一つは、双方“パス”による終局である。
 いまでは、パス(終局要請)したのに、相手からあらためて“終局要請”が来ることが多い(笑)。
 幽玄の間の解決策とは、別な解決策かもしれない。

謫仙(たくせん)

(2017.2.26)

置き碁道場

囲碁将棋チャンネルの「お好み置碁道場」に甘利俊一先生が出られることになったので、大挙してとはいっても総計5、6名であるが、応援に出掛けた。収録は2月2日、指導の先生はNHKトーナメントの聞き手でおなじみの長嶋梢恵二段。甘利先生はニューラルコンピューティング創始者の一人であり、その研究を発展させ、行き着いた先がディープラーニングであり、アルファ碁である。そういうことを考えれば、甘利先生の研究がなければ、まだコンピュータが人間に勝つのはまだしばらく先だったかもしれない。

午後6時から打合せが始まった。甘利先生が碁を始められたきっかけや気風、好きな棋士などに関してにインタby−が行われた。最後に手合割をどうするかという話になった。3子か4子かということだが、「3子でも4子でもかないっこないんだから」という甘利先生の言葉が対局において甘利先生の棋力を計る物差しの目盛りを少し狂わせたようである。結局対局は3子でということになった。収録は7時から始まった。解説は王銘琬九段、聞き手は稲葉禄子アマ。

序盤、石が接触し出したあたりは右に示すようになった。17-十六のカタツギが定石であるが、ここでは黒1のツケ。私は初めて見た。甘利先生は定石は知らないとインタビューで話されていたが、頭全戸の定石は知っておられるはずである。ただし、迷ったときは面白い手を選ぶというのも甘利先生の信条である。もっともアルファ碁の登場以来、こんな手はないといわれていた多くの手が「ある手」になってしまったので、定石知らずというのも絶滅したのかもしれない。

途中、解説で銘琬先生が「このように打てば黒良し」という局面がいくつかあった。その内のいくつかは私には絶対に思いつかない手であったのだが、甘利先生は解説が聞こえているかのごとくその手を打たれた。その度に長嶋二段の苦笑の表情にカメラが切り替わり、応援団からは歓声が上がった。9時過ぎに収録が終わった後、写真のように打ち上げへ。非常に楽しい夜でした。

なお、放映は4月28日(金)20時からです。ぜひご覧になって下さい。超面白いです。

かささぎ

(2017.2.5)

印象に残る一手 -6(役に立ったこの一手:T八段の教え)

第一譜 1-33 第二譜 34-115

K七段との3子の指導碁です。K七段には過去4局打って戴いていますが勝ち星はありません。ところが胸がドキドキする局面がやってきました。出題図の局面です。なんとこの局面は以前T八段に教えて頂き「感動の一手」「印象の一手」として千寿会HPにアップした局面とほぼ同じなのです。

まず、「耳赤恥の一手―梵天丸編②」をご覧ください。角に置く手(参考図の黒11)が示されています。まさにこの一手と同じ黒34が勝着でした。白は「地」と「目」両方を一瞬にして失い、勝ち味のすくない嫌な局面となったとのことでした。(K七段)

実践経過図は、白に大きな地を作らせないように、弱い石を作らぬようひたすら安全運転を心がけ無事ゴールインできました。

梵天丸

(2016.7.20)

落日の譜 雁金準一物語

宇能鴻一郎や川上宗薫らと並ぶ官能小説の大家、というより、我々の世代にはSM小説作家といった方がよく分かる団鬼六の最後の作品である。副題から分かるように雁金準一の生涯を扱おうとしたものだが、作者の死去により未完に終わっている。

作者の小学生の頃、囲碁好きだった父親の書棚に雁金準一の打ち碁集があった記憶から始まる。書くにあたっては高木祥一九段の紹介で瓊韻社の富田忠夫八段に面会し、資料を集めている。

物語は明治維新直後の没落した十四世本因坊秀和から始まる。雁金は下級官吏で囲碁好きだった父親から囲碁の手ほどきを受け、めきめきと強くなるが、父親は準一を国のために働く人にさせたいという希望で、囲碁打ちにさせるつもりはなかった。準一が13歳のとき、父の友人の紹介で箱根で温泉客の碁の相手をすることになった。これが準一の運命を変える。相手をした静養中の伊藤博文にすっかり気に入られたことである。帰って父親に話すと、父は喜び、そのような方法で国に尽くすこともあるのではということで、当時、坊門に対抗していた方円社に入ることになった。その後も、伊藤博文の書生を17才頃まで続けた。

本因坊家の没落、方円社の隆盛、田村保寿の方円社から坊門への移籍、十七世本因坊秀栄と田村との確執、秀栄が本因坊を雁金に継がせたい思いで雁金を坊門へ引き抜いたこと、雁金が方円社を出て行く一因となった巖崎建造の方円社社長の就任のいきさつ、明治囲碁界の大旦那であった高田民子、雁金派と田村派との本因坊継承争い、裨聖会、棋正社、瓊韻社の設立等々、いろいろな話をからませて雁金の生涯が綴られている。出てくる多くの人物がその性格をともなっていききと目の前に現れる。

中山典之氏の名著「昭和囲碁風雲録」で書かれていなかった明治から大正期における日本の囲碁界について知るには絶好の書である。

この作品の執筆途中に瓊韻社の富田八段が亡くなられている。2002年2月14日のことである。あとがきに団氏は、この「雁金準一物語」の連載がせめて終了するまで富田先生には生きていてほしかったと。と、書かれているが、私にとっては同じ言葉を団氏に捧げたい。団鬼六が亡くなられたのは2011年5月6日である。

かささぎ

(2016.6.19)

美魔研究会

先日の千寿会のゲストは初登場の岡田結美子六段。棋界一逸話が多いのではないかと思われる故安倍吉輝九段の娘、岡田伸一郎八段の妻、そして、二女一男の中高生の母でもある。おっとりとした口調で指導碁の解説をしていただいた。その後の恒例の飲み会にもつきあって下さり、いろいろと楽しいお話を聞かせていただいた。

その中から一つ。あるとき、伸一郎、結美子夫妻が千寿先生のところに遊びにきたときのこと。結美子氏が、「子供の爪が全然伸びないのよ。母乳で育てているので、カルシウムが足りないのかしら」と。ぽつりと伸一郎氏が「いつも僕が切っている」。棋界では料理ができる男性棋士から順に女性棋士に売れていくそうである(どうりで、聖健先生がなかなか売れなかったはずである)。

最近、女流棋士だけの研究会を結成されたそうである。青木喜久代八段が代表で、結美子六段や吉原由香里六段など多くの女性棋士が参加されているらしい。研究会のために日本棋院の部屋を借りるとき、貝の名前を決める必要があり、美しく妙齢のという意味で「美妙研」という案が出たそうである。字面はよいが読みが今一なので却下となったそうである。そこで決まったのが、表題にある「美魔研」読んで字の如しである。この美魔研で、もうすぐ始まる本因坊戦挑戦手合の第一局の解説会を二日目(5月10日)に市ヶ谷棋院で開催されるということである。時間のある方はぜひご参加を。

余談を。上のように日本棋院から部屋を借りているため、研究会には棋士なら誰でも参加する権利があるらしい。ある男性棋士が参加を申し込んできたらしい。いったい誰だろう。

ところでこの日の千寿会のアシスタントはその本因坊戦の挑戦者である高尾九段の奈都子夫人だった。井山さんの着物(タイトル)を一枚ずつ剥がしていきたいとのたまわれていた。

かささぎ

(2016.5.1)

古い碁石

 旧聞になるが、今年の1月30日に、千寿会では新年会を兼ねてアンティ・トルマネン君の入段祝いをおこなった。その折、ある会員が古い碁石を見せてくれた。いつ頃のものだろう。昔の碁石は今ほど磨かれておらず、あるいは時代がついて、このように汚れが目立つのか。いずれにしても貴重な品である。ただ今では使いにくい。
 わたしは漢文や書道の教養がないが、「橘齊井上因碩」は読める。
 井上家では代々因碩と名乗ったので、名前だけでは誰だか判らない。手ががりは「橘齊」である。これで隠居後に幻庵を号とした幻庵因碩、つまり十一世井上因碩と判る。
 ネットで調べると「別号として橘齋もある」とある。さてここで問題なのが「齊」の字だ。
 齊 は整えるなどの意味があり、使い方は「一斉に…」など。
 齋 は部屋などの意味があり、 使い方は「書斎」など。
 はじめに戻って、橘齊の「齊」は「齋」が正しい。
 間違えたのか、書いた当時は、「齊」が「齋」の略字として通用していたのか。

謫仙(たくせん)

2016.4.10

AlphaGo

李世ドル対AlphaGoの布石

 日本囲碁界では現在、井山裕太が七冠獲得なるか、注目されている。同時に、李世ドル対AlphaGoにも注目が集まっている。
 AlphaGoとはgoogleの開発した囲碁ソフトである。
 AlphaGoが注目されているのは、今までの囲碁ソフトの進歩が毎年一段ぐらいで、アマ六段ぐらいになったといわれ、これからが難しく、プロのレベルにあと10年と思われていたのに、なんとAlphaGoは一気にプロ高段のレベルに達したからだ。
第一局 黒 李世ドル 白 AlphaGo  勝 AlphaGo
第二局 黒 AlphaGo 白 李世ドル  勝 AlphaGo
第三局 黒 李世ドル 白 AlphaGo  勝 AlphaGo
第四局 黒 AlphaGo 白 李世ドル  勝 李世ドル
第五局 黒 李世ドル 白 AlphaGo  勝 AlphaGo
 結果はAlphaGoの四勝一敗だった。
 わたしが注目したのは、はじめの四手。
 ほとんどがスミの星で、わずかに小目。左の図参照。
 第一線はともかく、三三・天元・高目・5七・7七、なども検討しなかったはずがない。にもかかわらず、一度も打っていない。検討した結論は星が最強となったのか。
 わたし個人は小目がほとんど、たまに星にも打つ。高目・5七・7七などが、小目や星より優れているとはとても思えない。もしかしたらAlphaGoはそれを決定づけたか。
 AlphaGoの性能はどの程度か。
 公式発表数はCPUを1202個、GPUを176枚、使用している。
 ある試算によれば、サーバー利用料は2年で六〇億円。あまりに概算過ぎて、真実性が薄いが、ともかく零細ベンチャー企業では手が出ないほどの高額である。これから考えても、今までのソフトとは別物である。
 Googleでは人工知能の研究の一環として、AlphaGoを作成した。私たちが使えるようになるのは、まだまだ先の話である。
参考 AlphaGo

謫仙(たくせん)

(2016.3.18)

アンティ君の入段祝

千寿先生とアンティ君

千寿会の新年会を兼ねてアンティ・トルマネン君の入段祝いをおこなった。アンティの挨拶ははもちろん日本語。日本にきて合計で3年弱しかたたないが、日本語は敬語も含めてほぼ完璧な受け答えである。

以下、質問と回答を覚えている範囲で。

目標は?
 とりあえず50勝すること。外国人特別採用は三段になるまではいわば仮免期間で、1回戦の手合料も半額という取り扱いである。二段になるためには通算20勝が必要で、そこから三段になるためにはさらに30勝が必要であるという理由である。もちろん、同じ段で年度の賞金獲得額で2位までに入れば、すぐに昇段できる。さらにいえば、リーグ入りすればすぐに七段である。

彼女はいますか?
  お答えできません。

好きな棋士は?
  高川秀格と本因坊秀栄。

現役棋士だと?
  武宮九段。
掛け軸は高川秀格の「流水不争先」

両親は日本で囲碁棋士になることに対してどのようにいっているのか?
  おじ(ユーコ・トルマネン)が1980年のインスブルックオリンピック90m級スキージャンプの金メダリストなので、特殊な世界で生きることに関しては理解がある。

日本は寒いですか?
  外は寒くないが屋内が寒い。日本にきて3年が経つので、今年は外も寒く感じる。

正式には4月から初段であるが、既に2月におかげ杯の予選が組み込まれているそうである。恒例の週刊碁の新初段シリーズは山田拓自八段に打っていただくそうである。活躍を期待しています。

かささぎ

(2016.2.2)

アンティ君、入段おめでとう!

アンティ君

アンティ・トルマネン君(Antti Törmänen)の入段が決まった。ファンランドからやってきて2011年10月から院生として修行を重ねていた。2012年5月にいったんフィンランドに帰り学業にけりをつけ、2014年4月に院生に復帰した。それからはAリーグとBリークを行ったり来たりしていた。今回の冬期棋士採用試験では本選からの出場がかなった。初戦でいきなりアマ名人で今回入段を果たした大表さんに勝ち、上々のスタートを切った。しかし、全15戦が終わって8勝7敗と、僅か一つの勝ち越しと、少し残念な結果となった。しかし、この一つの勝ち越しというのが大きな意味を持っていた。

日本棋院棋士採用規程というのがある。この中の細則3の外国籍特別採用棋士第4条に採用の条件として次のように規定されている。

(2) 研修期間が3年程度の場合にはaまたはb、その他の場合はcの条件を満たすことを目安とする。
a.棋士採用試験の本戦で勝率5割以上の成績
b.棋士採用試験の本戦に2回以上出場し相当な成績
c.棋士採用試験の本戦および研修手合において継続的に相当な成績

要するに、この一つの勝ち越しにより a.の項目に該当することになったということである。ただし、ここでちょっとした問題がある。「研修期間が3年程度の場合には」というところである。アンティ君の院生研修期間は合計で27ヶ月である。3年に少し足りない。ということで、少し心配したのだが、今回無事入段の運びとなった。ピーチさんが入段して以来、実に18年振りの欧米出身棋士の誕生である。対局、普及に頑張ってもらいたい。

かささぎ

(2015.12.8)

印象に残る一手―5(囲碁梁山泊過去問より)解答編

正解図

皆さまかなり苦労されたようですね。正解図をご覧ください。14-十四にコスミつけられるとしびれる(白石川さんご指摘のとおりです)のでどのように手をいれますかというのがこの問題のポイントです。どのようにしびれるのか説明します。
補足図―1 補足図―2

補足図―1のように コスミつけられると白2しかなく辛辣にきかされ目ひとつの攻撃目標ができてしまいます。

補足図―2のような抵抗はできません。要の3子が抜けてしまいます。ということで13-十三が正解です。

この手は目がたちが豊かで、黒からの利きが殆どなく、かつ10-十五のカケを見ている点で正解との事です。新じろうさん、白石川さん(再チャレンジ)が正解でした。たくせんさんの13-十四はコスミつけられると応手に窮してしまいます。亜Qさんの14-十四のタケフははっきりときかしを拒否した手ですが、目がたちが豊かでない点と10-十五のカケが無い点正解手より劣ると思います。かささぎさん(たくせんさんの再チャレンジ)の11-十五の押しは、白が3本位押してケイマに打つような打ち方はあるように思いますが、黒からコスミつけてきかされるのは何とも癪ですね。Jyunさんの右辺開きは、大場ですが急場があるという事です。

解答一番乗りの白石川さんが「しびれる」と指摘されたので、正解続出かと思っていましたが、10-十五のカケがあることを見落とされたものか、3子が抜ける手が盲点となってしまったのか結構難問でしたね。 1ケ月位休みますが、また再開するつもりでおります。

(掲載にあたっては梁山泊出版部にお断りし、PRになるのでどうぞとのお言葉を戴いています。)

梵天丸

(2015.11.12)

印象に残る一手―5(囲碁梁山泊過去問より)

囲碁梁山泊の懸賞問題について少しご説明します。全部で8問、1問25点の配点で200点満点です。序盤中盤の次の一手が4問(2問程度が5択)、詰碁、ヨセ、手筋の問題が4問(ひと段落の分かれまで記入)毎回百数十名の応募があり、名の知れた方々のお名前も散見されます。(個人名と設問別の取得点数、合計得点が一覧表で掲示されます)問題監修を武宮九段、結城九段が担当されておりレベルがかなり高い。私の最高得点は194点です。因みに我が碁敵の亜Q師は200点を取られたことがあり、何気ない会話の中にそれとなく話され奥ゆかしさを感じさせられます。(余談)

さて問題図をご覧ください。白の次の一手が問題です。私ははずしましたが、解答を見て「やはりそうか」と思いました。比較的やさしい問題だと思います。

(掲載にあたっては梁山泊出版部にお断りし、PRになるのでどうぞとのお言葉を戴いています。)

梵天丸

(2015.11.8)

印象に残る一手―4(囲碁梁山泊過去問より)解答編

アマ強豪のお歴々が大いに悩む問題でした。正解図をご覧ください。私は解答を見るまで全く思いもつきませんでした。解答のコメントとして「白が動く調子で右辺と上辺が整備されます。スケールの大きい構想です。」とありました。たしかに問題図の局面は上辺から9-四と打ち込まれると弱い石が2つできこれは避けたいし、右辺も17-八と一杯に詰められるといやな局面です。これを同時に緩和する黒1は「へーなるほど」と感じた次第です。

この問題大変難しく、皆さまの解答を云々する力量はありませんが、思いつくままに以下コメントさせて戴きます。因みに私は18-二と解答しましたが25点満点中19点だったと思います。18-二が劣る理由は(私なりの解釈ですが)やはり9-四の打ちこみが嫌でしょう。18-二を打った手前黒は攻めてきますが、白は出切っていく手や5線を押し切っていく手などがありひと段落すると9-四の打ちこみが光るように思います。

かささぎさんの再チャレンジの手13-七はニヤピンですね。かなりの高得点のような気がします。ただ上辺の戦いになった時は2間トビには劣りますね。あとの解答(亜Qさん、新じろうさん、白川石さん、たくせんさん)は、「18-二でない、14-二でない。再チャレンジ願います」との私のプッシュに無理やり解答をして戴いたものばかりでコメントは控えます。

この解答、目からウロコの類ではないけど、私の印象に強く残っています。
次回は閑話休題、比較的やさしい問題を出題します。

梵天丸

(2015.10.28)

印象に残る一手―4(囲碁梁山泊過去問より)

囲碁梁山泊という雑誌があることは皆さまご存じかと思います。懸賞問題のレベルが高く毎回応募していますが満点を取った事はありません。詰碁とかヨセの問題はかなり高度ですが、時間にまかせトライアル&エラーを繰り返すと何とか納得いく解答までたどり着けないこともないのですが、布石や中盤の次の一手これがなかなか手ごわい。そんな梁山泊の過去の問題のなかで「へーそうなの」と解答を見て感じた問題を出題します。

毎回満点解答者は数名いらっしゃり、常連のお名前もありますので、やさしいと感じる方もいらっしゃるとは思いますがお付き合いいただけたらと思います。

さて第一問です。黒の次の一手はどこでしょうか?この局面結構広いので有力な解答は何手かあり、優劣はその後の打ち方次第かもわかりませんが、解答を見たとき「へーなるほど」と感じました。ノーヒントでお願いします。

(掲載にあたっては梁山泊出版部にお断りし、PRになるのでどうぞとのお言葉を戴いています。)

梵天丸

(2015.10.22)

指導碁 印象に残る一手-3(Y6段編)解答編

正解図

正解図をご覧ください。まず黒100(3-十八)と下がり、5-十二からの手段(実戦譜参照)を封じるべく白101、その後待望の右辺の二間ツメ黒102に回るのが正解とのことでした。下がり(黒100)がきてからの5-十二は大変厳しく3-九のキリ(黒の花見劫)を狙われるような展開もあり手は抜けないとの事でした。
実戦図(黒100-黒120)

実戦は5-十二に目がいき左辺を割って大戦果と思いましたが白105のカミ取りが大きく正解図よりも劣るとのことでした。隅は出入りできくので、左辺割るよりも大きいようです。(囲碁ソフトの計算では5目ほど正解図の方が大きい結果でした)この感覚がなかなか身につきません。

黒102のとき左辺を渡る(3-十二)のは黒に6-十一と切られて中央に大きな地ができてしまいます。

たくせんさん、白川石さん、新じろうさんは私と同じ感覚ですね。いつもぴたり正解の新じろうさんがはずして下さると出題者冥利を感じますね。かささぎさんはピントぴったりですが右辺2間ツメ(17-九)のあと白に105と切り取られると、5-十二からの手段が失われてしまいます。亜Qさん、Jyunさんご指摘の中央は、まだこの時点では隅や辺の方が大きいとの事です。

実戦経過図を補足します。白が中央荒らしたあと黒の114が決めてとなり以下白117と活きを強要し、後手ながら白3子もぎ取り、なんとか勝ちきることができました。

梵天丸

(2015.10.18)

指導碁 印象に残る一手-3(Y6段編)

Y6段との3子の指導碁です。黒は大分餅を食わされています(凝り形です)。白もジリジリ追い上げてきていますが、まだリードしていると思います。この局面(白99まで)黒の次の一手を考えて下さい。ノーヒントでお願いします。

梵天丸

(2015.10.8)

黒嘉嘉と謝依旻

 フェイスブックを見ていたら、
 不做小龍女!圍棋界的小東邪 黑嘉嘉:我因為快樂才下棋
という記事があった。その中に、
 報道機関では、黒嘉嘉を「棋界の小龍女」というが、嘉嘉は「わたしは郭襄」という。
 とある。
 どれほどの人がこれでイメージが沸くだろうか。武侠ファンには、郭襄は小東邪の名で親しまれている。わたしも黒嘉嘉さんは小東邪のほうにイメージが近いと思う。
 当HPの読者諸兄諸姐においては、わたしが少しながら紹介しているので、イメージが沸くかも知れない。
金庸小説美人番付
倚天屠龍記の碁
 謫仙楼対局というでたらめな話で、イメージが狂ってしまった人の方が多いか。
 小説では神鵰侠侶(神鵰剣侠)と倚天屠龍記に出てきます。
 現在、黒嘉嘉六段は台湾の女流トップ棋士。
 その記事の途中にあった、嘉嘉さんが依旻姐姐(いーみんねえさん)と呼んでいる謝依旻六段の言葉、
「人生でもっとも素晴らしい碁は今打っている一局だ」
 謝依旻:「人生最好的棋,在下一盤」

 棋力はもちろんのこと、心身共に充実していて、今打っている一局に全身全霊を傾けている姿が想像できる。常に過去を超える碁を打ちたいという意欲が伝わってくるではないか。
 箱根の碁会での話。わたしの指導碁を終えた黒嘉嘉さんが、謝依旻さんに解説して貰おうと「依旻姐」と呼んだが、謝依旻さんは指導碁で考え込んでいて、呼ばれたのに気がつかないほどだった。
参考 2013ファンフェスタin箱根-Second

謫仙(たくせん)

(2015.10.4)

指導碁 印象に残る一手-2(H4段編)解答

解答図(白103-白107)

私は「白生きるために下辺の黒が強くなればいい」位の考えでいましたが、見事おお威張りで生きられてしまいました(解答図)。こうなると下辺の黒を手当てしなくてはならず嫌な局面を自覚しました。問題としては大変簡単で恐縮です。
経過図(黒108-黒124)

この後の経過は嫌な局面を意識した頑張りです。なんとか下辺の黒を先手できりあげ左辺に打ちこむことができ(経過図)、作り碁となり少し残すことができました(大ヨセ終了図)。
大ヨセ終了図(白125-黒156)

局面をリードしている(下辺の黒は白にもがいて戴けるので楽活き!)と思っていましたが、そうでないことに気づかされ、そこからの必死の頑張りがとても印象に残っています。長考を繰り返しご迷惑をかけた一局としても印象に残っています。

梵天丸

(2015.9.30)

指導碁 印象に残る一手-2(H4段編)

問題図(実戦)

H4段との2子の指導碁です。黒は接近戦を戦い2子で入った記念すべき一局です。

黒102(18-十八)の後の、白の次の2手(103, 105)を考えて下さい。問題としては簡単だと思います。私のおそまつな読みからは外れていました。

梵天丸

(2015.9.17)

指導碁 印象に残る一手-1解答編

実戦図

実戦の経過図をまず参照下さい。私は15-十五にノゾかれると継げないので4子(カナメと思いこみ)をとられてはまずいと即断し黒40と打ちました。・・・が白41との交換はいかにも損。切られた黒石を動き出しても右辺の白がしっかり生きているので得をするとは思えず、また上辺と右辺の線を白に切られると薄くなりそうで黒42と甘い手を打ってしまいました。その後の進行は黒58ではやはり17-五のコスミつけの方が大きかったようですがこれをも逃し、地合いで追いつかれ、勝ち味のない碁になってしまいました。


正解図

なんでこうなってしまったのですか?とお聞きしたら4子を軽くみる考え方を教えて戴きました。要は黒40と打たずに、17-五のコスミつけです。ノゾキにはつがず生きておくと4子の取りは残りますが大寄せの手との事でした。しんじろうさんは大正解でした。彼は県代表経験者ですがこのクラスになると感覚的におわかりになるようです。(脱帽)かささぎさんの16-十三ノゾキは白16-十二のツギと替わって損で結局後手をひくのではと思います。たくせんさんは手抜きはすばらしい発想と思いますが白に簡単にさばかれそうです。亜Qさんのツギは打ちたいところですが覗かれて継いでしまうと下辺白からハネ継がれ死んでしまいます。

カナメ石は時々刻々変化していて、黒が生きるために右辺の白を生かした時点で軽く見てもいい石となっていたようです。4子を軽く見る発想はいい勉強になりました。

梵天丸

(2015.9.10)

指導碁 印象に残る一手-1

長らくのご無沙汰でした。千寿会では沢山のプロ棋士の方々に指導碁を打って戴いております。その中から私が印象に残る一手を、思い出すままに投稿させて戴こうかと思います。

先生に打たれた全く想定外の一手、ご指導の言葉に深く納得した一手、中には勝利を引きよせおほめ戴いた一手など、聞きたくもない自慢話もでてくるかと思いますが、お付き合い戴き、参考にして戴ければ幸いです。

まずはT二段との3子の指導碁です。黒番です。白23のトビに黒24と飛んだのがやや問題で25の点に曲がって白の一間トビとかわってから黒24とトベば窮屈な思いをせずにすみました。黒は閉じ込められてしまいました。次の一手(黒40)はどこでしょうか?我と思わん方は掲示板に解答をおよせください。解答数に関係なく1週間くらいでアップしていきます。

梵天丸

(2015.9.3)

「日本のいちばん長い日」半藤一利著

最初にいっておくが、この本には囲碁の話は一切出てこない。なぜここにこの文章を掲載したのかは後を読んでもらいたい。この本はしばらく前のFM Nack5(埼玉のローカル放送)のHYPER RADIOの中の「BOOKING」のコーナーで紹介された。昭和20年8月14日正午から同15日正午までを1時間ごとに綴った実録で、元祖「24 -TWENTY FOUR-」である。終戦時に何かあったことは知っていたが、具体的にはよく知らなかったのと、ラジオの紹介が面白そうだったので図書館で借りてきた。

本文を読み終え、あとがきを読んでいたら、インタビューした方々の所に、塚本清(塚本總業社長)という名前が出てきた。本文を読んでいるときには読み流してしまっていたのだが、宮城事件を収めた東部軍管区司令官田中静壱陸軍大将の副官として登場していた。塚本清氏は塚本素山という名前の方が通っている。千寿会の例会がおこなわれている塚本素山ビルの名前にもなっているように、塚本總業の創設者である。現在の社長の塚本清士郎氏は素山氏の長男である。

私はピーチさんの偲ぶ会のときに一度だけ清士郎氏にお会いしただけであり、棋力も人柄も存じ上げない。ただ、ピーチさんを始めとする多くのヨーロッパからの院生を寮に住まわせたり、ビルの中に囲碁倶楽部を作り千寿会に提供していただいたりと、囲碁への貢献は多大である。

蛇足ではあるが、この本は2度目の映画化がなされ、8月8日に封切られる。ちょうど戦後70年、この機会に当時の日本を振り返ってみるのもよいかも。

かささぎ
(2015.7.19)

チャバ君からの便り

元院生のハンガリーのチャバ君(写真の右端)から写真がが届いたので紹介します。碁盤に向かい合っている右側はチャバ君の娘のアリーナちゃん、対して左側はチャバ君の奥さんの甥のバルナ君。二人ともまだ3才になっていませんが、真剣なまなざしですね。バルナ君の向こう側でうつむいているのは、こちらも元院生のチェコのオンドラ君です。

かささぎ

(2015.6.1)

日本文化発信パフォーマンス「海外から見た日本文化」

千寿先生が会員になっておられる文化庁文化交流使の会が表記催しを主催されます。海外や国内で活動実績が豊かな文化交流使経験者が培った経験を広く、日本、世界の文化発展に役立てるため対談と実演をいたします。ご興味ある方はぜひご参加下さい。詳しくはこちらをご覧下さい。

かささぎ

(2015.3.16)

高尾天元就位式

2月20日に行われた高尾天元の就位式に招待していただいたので、参加してきました。会場は日比谷松本楼。高尾天元の楽しいスピーチをビデオに撮ってきましたので紹介いたします。高尾ブログにスピーチ原稿の写真が掲載されていましたが、もちろん本番は原稿なしです。

かささぎ

(2015.2.23)

中国の碁のルールの変遷 追記 の訂正版

 2011年5月に中国の碁のルールの変遷を書いたが、そう書いてあるコンテンツがあったという報告で、内容の検証はしていない。その中に次のような文を、多少の疑問を感じながら書いた。

 この中で、180.5を基準とするのは、清末と思って今まで書いていたのだが、三の明代にはもうあったという。石+地を数えるようになったのは、近年と思っていたが清末だという。
 戦後の棋士の文に、中国ルールに言及していて、「切り賃」が出てきた。それで切り賃がなくなったのは近年だと思っていたのだった。おそらく清末に完全に切り替わったのではなく、実際には戦後まで、切り賃のあるルールが主流だったのではないか。

 王銘琬(おう・めいえん)九段が、メイエン事件簿(注:現在このHPは無くなってしまった)で戦前の中国ルールについて触れていた。
 台湾では填空法(日本ルール)と数子法(中国ルール)が同時に行われていた。
 台湾でのルールは「数子法」のときは、最後に黒が打つと黒から一目引き、結果は日本ルールと同じになったという。


 2015年2月7日の千寿会に、講師として王銘琬九段が来てくれた。
 わたしは用意しておいた、今までの数々の疑問を訊いてみた。
 上の台湾での、「最後に黒が打つと黒から一目引く」数子法は、ご当地ルールではなく、昔の一般的なルールだったと言う。
 中国ルールと日本ルールの差はいろいろいわれているが、「最後に黒が打つと黒から一目引く」ことは、王銘琬九段が書くまで見た聞いたことがなかった。結果がおなじなら、両ルールの混在が許されるわけだ。
 このことは中国ルールと日本ルールを比較する時において、是非付け加えて欲しい説明である。数え方の差のもっとも判りやすい説明であるからだ。
 さて、そのことが判ってみると、
   還珠姫の碁
   還珠格格の碁
   天龍八部の碁
   中国の碁のルールの変遷
 で書いた数え方の疑問が、ほとんど解決するではないか。
 それからなぜ日本ルールから中国ルールに変わったのかについては、「中国の碁のルールの変遷」の内容と同じ説である。

 元明のころ民間では賭け碁が盛んになる。ハマを巡って問題が起きやすい。そのためはっきりしたルールを求めた。その結果数子法ができたのではないか。“廟堂君子”は填空法(日本ルール)で打っていても、“市井小民”は数子法(中国ルール)で打っていた。

 それが中国では一般化したわけだ。そのせいか、今では中国では立会人が整地して数える。
 日本ではそれぞれが相手の地を整地して数える。それはお互いがごまかさないことを前提としたルールである。


 戦前のルールが本当に日本ルールと同じか、確認してみた。五路盤なので25目、半数は12.5である。

 白10で終局した場合。
填空法では、黒地10目、白地5目。差は5目である。
数子法では、黒石5+黒地10目=15目。白石5+白地5目=10目。差は5目で2.5子に相当する。
現在の計算方法では、「15-12.5=2.5子」、で問題ない。

 黒11で終局した場合。
填空法では、黒地9目、白地5目。差は4目である。
数子法では、黒石6+黒地9目-1(黒で打ち終えたので)=14目。白石5+白地5=10目。差は4目で2子相当である。
「14-12.5=1.5子」、という現在の計算法では同じにならない。
「黒15-12.5-0.5子(1目相当)=2子」と計算することになる。
 数子法が出現したいきさつ(填空法で計算されていたときに、数子法が出現した)から、白黒の差で計算したと思われる。
 これ以外にも、切り賃とか、セキのダメとかの問題もあるが、それも含めて具体的な方法は枝葉末節。考慮の外。基本的な考え方が判り還珠格格の疑問が解決すればよい。

謫仙(たくせん)

(2015.2.17)

「彩雲国物語」の碁は

雪乃紗衣   角川書店   2003.10~2011.7  全十八巻

 彩雲国(さいうんこく)物語は中華風ファンタジー。名前や制度などが唐に似ている。しかし同じではない。あくまでも唐風だ。後に漫画になり(見ていない)、アニメになっている。
 わたしはネットでアニメを先に見た。面白いのだが、ローマ字字幕なのであちこちで混乱してしまった。とにかく人物が誰が誰だか判らない。10回目あたりから中国語字幕になって、ようやく名前の区別がつくようになった。途中で終わる。
 日本語では彩雲国は王国で王は主上と呼ばれるが、中国語は帝国で皇帝は皇上と呼ばれていた。

 あらすじはウィキを引用する。
 架空の国、彩雲国を舞台に名門紅家直系長姫ながら貧乏生活を送っている紅秀麗が、あるきっかけで「官吏になりたい」と一度諦めた夢を追い求め叶えようとする物語。
 昏君(バカ王)を演じていた劉輝や王の側近である絳攸らの尽力によって官吏となるも、州牧に大抜擢されたかと思うと冗官(無位無官の官吏)に落とされるなど、毀誉褒貶の激しい人生を送る。
 その過程で建国にもかかわったとされる「彩八仙」にもかかわってゆき、最期には王からの寵愛を一身に受け妃となり、女児を産み、その短い生涯に幕を閉じ終劇となる。


 原作があることを知り、図書館で見つけて読んだ。ようやく、意味が理解できた箇所が多々。
 初めは官としての出世競争かと思った。紅秀麗本人は、官となって世の中をよくしたい一心であり、まわりの人を応援したりするにしても、形は出世競争になる。
 それで紅秀麗は無意識だが、派閥争いに巻き込まれる。官である以上仕方ない。しかし、王の臣としての派閥ばかりではなく、国試の官僚と貴族の勢力争いでもあり、地方閥の争いでもあり、さらに大きく王派と非王派の争いでもあった。なんと王族にも王を認めない高官がいる。腹の中では“王位継承順位は私が上だ。王位をよこせ”と。
 大官長老は王を人形くらいにしか思っていない。
 それらの争いも明確に区分される訳ではない。下の者は争っていることにも気がつかないほど曖昧だ。
 遠大な計画で、王の側近が次々と左遷されていき、王の手足となる官僚は、少女の紅秀麗ひとりとなってしまう。ただし紅秀麗は専任の仕事があり王のそばにいる訳ではない。
 そうなってはっと気づくのだった。

 静蘭はこういうやり方が絶妙にうまい人を知っていた。
(この、詰め碁のように隙のない勝負の仕掛け方-)
 静蘭が何度挑んでも、ついに一度も勝てなかった。どんなに先を読んでもさらに先を読み、とっくに負けていることさえ静蘭に気づかせずに勝負を決めた。


 短い文章ながら正確。ここ以外にも何カ所か「碁を打った」などという記述があるが、実際の打碁の記述はない。著者は碁を知っていそう。特に「とっくに負けていることさえ静蘭に気づかせずに…」に迫力を感じる。
 それから、「手元に碁石がなかった」という表現もある。信頼できる頼める人物がいないの意味。

 言葉は平成語も多く使う。
 半端ない。頑張れよ自分。ちょううれしい。いーじゃん。こんな言葉がつぎつぎと出てくる。「わたしのが強い」これはちょっと考えてしまった。略されているのはどうやら「方が」らしい。つまり「わたしの方が強い」だ。
 それでも、親の世代は高官らしくきちんとした言葉を使う(でもないか)。難しい漢語もそれらしく使いこなし、多くは仮名を振っている。「常用漢字」には吹き出したが、彩雲国でも「常用漢字」はあるだろう。

 全体的に、後から「実は……」ということが多い。それで矛盾していないか、心配になってくる。
 物語は面白かった。よくぞここまで構想できたと感心してしまう。ところどころで、ラノベとは思えないほど、深い洞察を示す。
 結局、現王と紅秀麗の夢が実現したといっていいのではないか。戦はせずできる限り人は殺さず、平和で豊かな世界を目指した。女性にも活躍の場を与え、人の平等を目指した。
 紅秀麗が夢に向かって疾走する。それを読者は見守ることになる。

謫仙(たくせん)

2015.2.3

星空のカラス

モリエサトシ   白泉社   2013.2

 先日日本棋院の二階で見つけ、五巻そろえて買った。囲碁漫画である。
「会員割引になりませんかァ」
「棋院発行の本なら割引の対象なんですけど」
 少女マンガらしく恋愛ものだ。かなり碁に詳しい人が書いたと思う。ヒカルの碁が入門から始まったが、こちらはプロ入りを目指すところから始まっている。
 けっこう面白いと思った。
 ヒカルの碁と比べると物足りないが、ヒカルの碁ができすぎだったので比べるのは酷だ。
 特徴はというと、主人公ほか数名以外はほとんど同じ顔。極端に言えば、名前を呼ぶ人がいないと誰だか判らない。そして、駒割がごちゃごちゃしていて、見にくいのは問題かな。
 いきなり話が飛ぶこともあった。一ページ抜けたような感じだ。そのためわたしには説明不足になる。
 登場人物が極端にやせていて、首が首長族(カヤン族)の特定の女性のようなのはどうだろう。慣れないわたしには気味が悪い。作者の特徴かな。
 対局時の緊張感や、各人の心の問題や家庭の問題など、引き込まれる。
 それらはともかく、続きが読みたいと思えるでき。

   …………………………………………
「星空のカラス」の時計問題
 最初は気づかず、二度目に読み返した時に気づいたことがある。
 ある時計の問題。第二巻の……あれページがない。

 中学生の全国大会で、ほとんど同時に黒が打ち白が打ち、二人の手が時計に行って、ほとんど同時に黒が押し白が押す。
 碁に詳しくない見ている人が、「あっ ぶなー」 … 「相手が押す前に押しちゃうかと思った」
と言うのだが。
 アマの大会ではよく見かける光景なのだが、ルールではどうなっているのだろうか。
 このシーンのように、白が打ってから黒が時計を押すのはルール違反と思うのだが。
 懸念の、「相手(黒)が押す前に(白が)押しちゃう」というのは、白が打ってから、(次に黒が打つ前に)白が押すことになり問題ないはず。

 打ったら時計を押す権利が生ずる。相手が打ったら時計を押す権利は相手にあり、こちらは押してはいけない、という意味のルール(具体的な文章は知りませんが)があると思うがどうか。
 アマ同士の対局で、このようなことを問題にした話は聞いたことがないのだが、あらためて考えると、この状況を「可」とするその根拠は何だろうかと思った。
 厳密に対応すれば、片方が極端に早打ちだと、相手は時計を押す暇がないということになりかねない。黒が打つ、黒が時計を押す前に白が打つ。これを繰り返されると、黒は時計を押せなくなる。
 プロの場合はどうか。多くは秒読みかあるので、このような問題は生じにくい。

謫仙(たくせん)

(2015.1.10)

第21回泰書展のご案内

今年も表記書展が下記の要領で開催されます。泰書会の先代主宰者の柳田泰山氏は故・加藤正夫九段の岳父であったことから、棋士による書もいくつか展示されています。ご興味のある方は是非お越し下さい。

日時:平成26年8月28日(木)−9月2日(火)
   午前10時−午後5時(最終日は午後3時まで)
会場:上野の森美術館

かささぎ

(2014.8.13)

生放送ご観覧のお誘い

いつもお世話になっております。作曲家の村田真生です。

来週7/19(土)に、大橋プロのネットラジオに出演し、エンディング曲の「Monotone」(他1曲)を生演奏するのですが、もしご都合よろしければ是非足をお運びいただきたくご連絡差し上げました。

今回、会場が少々狭いため、大橋さんとのコラボは叶いませんが、レコーディング時と同じ一流の演奏家とお届けいたします。

■日時:2014年7月19日(土) 15:00~16:00
■会場:株式会社CAN内スタジオ (受付5F、会場7F)
■料金:1,000円 (1ドリンク付)
■出演:大橋拓文 (棋士)、千葉聡子 (MC)、村田真生 (Guest)
■協力:簑田真理 (Vln.)、黒田静鏡 (尺八)

※当日はNHKの取材カメラが入りますので、ご協力をお願いいたします。

尚、お越しいただける場合は、私に直接ご連絡いただくか、下記サイトよりお申し付け下さい。

http://jygshp.wix.com/jygs#!spaceman/ccrf

以上、お忙しいところ恐れ入りますが、何卒宜しくお願いいたしますm(_ _)m

村田真生

(2014.7.13)

石田章九段引退を記念して 解答編

たな晒しになっていた「石田章引退記念問題」の解答をお届けいたします。愚かしい我が論評を避けて、章先生の意見をなるべくありのままお伝えいたします。

<第1問>
◆回答;右上と右下に変則的な動きがみられる。黒14−十五で右下17-十六と受けてどうということはないし、白もまた、17−十七のツケで右上の白石を動くことができる。白17−十七から互いに打ちたいところを打つ、というのも一つの勢いとして否定できない。白の次の一手は、15-十七のカカエ。右上の白はまだ活力が残っているのに、16-十七の黒一子は死命を制され、これで白有利。見掛けより確実な地がものをいう。この形を手割にすれば、白15-十七の後、黒16-十七、白17-十七を交換したことになり、黒がひどく不利に陥ったーー。

◆実戦;右下を手抜きして白は左辺1と大場に走った。黒は2とすぐに動き出し。以下、白3、黒4マゲ、白5と進行、この後黒は15-十五とオシて中を厚くするか、11-十七とヒラクか、いずれにせよ黒は右下隅を基点として勢力範囲を広げることができる。

<第2問>
◆回答;右上隅にお馴染みの定石が白16−ニで一段落。白は黒12−四とハサまれた一子を治まり、黒は15−七と突き抜いて右上に勢力を形成。この勢力を利用して右辺へのヒラキが好点に見えるが、それでは単純過ぎで、正解は黒1と右下小目の白への一間ガカリ。まずカカリという大場を占めて、白の受け方を見て右辺へのヒラキを考える。場合によっては右辺をマグサ場にするとありました。カカリに対して例えば白16-十四と受ければ、黒は17-十一ヒラキ。白のヒラキを封じ、右辺の焦点を制していっぱいに働いた。

◆変化1;白が右下を2と一間に受けると、白の形が低いため黒17-十一ヒラキは白に響かない。また白から右辺にヒラク手の値打ちも小さくなる。つまり、右辺はマグサ場に近いため黒は右辺を手抜きして、左下でカカリ放しになっている白に黒3とカケて先制攻撃に移る。

◆変化2;一方、白が右下を手抜きして16-十と黒への攻めをうかがっても、黒は14-十七のマガリが利いて強い石。左下の小目の白に16-十四とカケて黒の方が白を攻める立場で、主導権は黒にあり。右辺こそ大場と素直に考えて黒が右下にカカラず、17-十と単純にヒラいたとすると、白は右下を15-十七とシマってゆっくりした碁になる。右下に強力な白の布陣ができれば可変への黒の作戦は制限される。シマリの威力を軽視してはいけない。

<第3問(二子局)>
◆回答;スケールが大きい模様を作っても、相手の荒らしに言いなりに受けていてはザルから水がこぼれるように地がヤセ衰える。黒の次の一手は黒1のコスミツケ。上辺の地を守る有力なテクニックだ。次いで白2とアテ込んで黒からの利かされに反発を試み、黒3と受けさせてから白4と三々に入れば右上の白は生き。しかし黒は5ハネを利かせて白6、黒7、白8を経て黒9に回れば上辺の模様は確定地に変わる。この後、白は10から出て行くしかないが、黒は11、白12、黒13と右辺も固め、白14ハネには黒15と受けて上辺にも20目以上の地を確定、二子のハンディを継続している。

◆変化;前図白6の変化。白6(15-二)、黒7、白8、黒9、白10、黒11、白12と進んで黒が13と固めれば前図と似たようなもの。また前図白4で14-二と下がり、上辺の黒地を荒らす手がかりにしようとすると、黒は13-五のアテを利かせ、白ツギ(14-四)を待って黒17-三と三々を占めれば白は目が奪われて利かされた形で辛い。

◆実戦;黒17-三と受けて、白12-二のスベリを許した。これで上辺の黒地が消え、左上の黒の厚みは7-五のキズを持つ薄い石に様変わり。こうなっては黒が勝つのは容易ではないと、章流の辛口でした。

<第4問>
◆ヒントと回答;黒は左下シマリから両翼のヒラキを打って理想的に模様を広げてきた。ここで白が黒模様に手段するとすれば、辺のツメか、消しか、中への手段か、どれが適切だろう。正解は「右下2-十六ツケで様子を見る中への手段」でした。黒がさらに5-十五や5-十あたりに固めた後では、ツケは持ち込みになる恐れがある。今でこそ、黒の打ち方によって、捨石にするか、隅で生きるかを選ぶタイミングの良い手になるそうです。

◆黒の対応1;黒1と引いて隅を守った場合。白2と打ち込み、黒3の攻めには、白4、黒5、白6と居直る。黒3で6の方から詰めるのは白3のコスミで荒らしは成功。その後、黒7、白8、黒9と下辺の模様を広げたとして、続く白10、黒11、白12までの白地がまず大きい。しかも中央の黒には4-十二のキズが残り、黒がここを受ければ白は11-十五とケイマに進出して好調。

◆黒の対応2;黒1と外側にノビる変化。白2のハイ込みの後、3-十七の生きと、黒3、白4、黒5、白6のサバキが見合いになる。続いて黒7から白8、黒9、白10、黒11、白12、黒13なら白14と黒一子をカカエて楽に中央へ出られる。

◆白の別法1;自らの模様拡大と辺のツメを兼ねる白3-八はまさしく大場。しかし黒5-十と1間に飛び上がられて黒模様のスケールが大きい。この時点で白が2-十六にツケるのではさらに黒10-十五と飛ばれてより苦しくなるから、白は荒らしのタイミングを逃した。

◆白の別法2;実戦は白4-十一の消し。続いて黒4-十オシ、白5-十一ヒキ、黒2-十二スベリまでが一つの型。黒模様は確かに制限されたけれど、中央の白二子は浮石。続いて白5-十マゲ、黒4-八トビ、白5-九ノビと補強すれば、黒も4-六とトンで白模様にもたれていく。これも白不十分だったようです。

亜Q

(2014.6.21)

石田章九段引退を記念して

「強い方の石田」と呼ばれ、名人戦リーグ六期連続在籍、新人王2期戦連続優勝など、玄人受けする実力者として確かな足跡を残した石田章九段が、三月三十一日をもって現役を引退した(以上、5月12日付『週刊碁』から引用)。「碁はめちゃくちゃ強かった、でもお酒もめちゃくちゃ好きだった」との小林健二七段の石田章評はなかなか玄妙。章九段の碁は棋士仲間から高く評価されていたようだが、勝負より独自の美学にこだわり、この世界では敬愛心を込めて呼ばれる"キザな棋士"の典型でもあったらしい。その意味で、先輩の大竹英雄名誉碁聖(元名人・十段など)や後輩の柳時元天元・王座らと同じ系譜と言えるかもしれない。高齢化が進行する今の時代、64歳での引退は早過ぎるが、「飛び切りのカッコマン」人生をこれからも貫かれることだろう。

その石田章九段の著書がなぜか我が本棚にあった。昭和59年2月1日発行の『別冊・囲碁クラブ No.50』、タイトルは「序盤の急所~棋力は20手で見破られる」。私事ながら、当時の私は碁石に触れるのは年に数回あるかないか、棋書を読むこともめったになかった。誰かからいただいたままほこりをかぶっていた本書が今見つかったのも何かのご縁だろう。たまたまPCから2週間ほど離れることになったので、同書から序盤の次の一手を4題ご紹介して、本サイトを時折訪れていただく変人諸兄の腕試しに供したい。回答は6月上中旬になりそうだが、全題一緒に提示させていただく。皆様ふるってご回答のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

亜Q

(2014.5.18)

第1問(黒11まで);白番「手割りの解明は形勢判断に必要不可欠」 第2問(白18まで);黒番「目の付け方で大場がマグサ場にもなる」

第3問(白29まで);黒番「模様を地に変えるテクニック」

第4問(黒21まで);白番「模様を荒らすにはタイミングが大切」


千寿会とは

1994年に始まった会で、小林千寿氏を慕って集まってくる海外からの棋士志望者と、 それを支える日本人囲碁愛好家たちの交流の場です。

会員募集中

現在会員募集中です。ご興味のある方は本ページの上部に記載されているメールアドレスまでご連絡ください。ただし、入会資格は厳しいです。
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